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2006/08/21

昭和の歴史を振り返る

今年の8月15日は、61回目の終戦記念日でした。この日、小泉首相は靖国神社を参拝し、マスコミもこれを大きく取り上げています。批判に対して小泉首相は相変わらず、「個人の心の問題をとやかく言われる筋合いはない」と強気の姿勢です。しかし、彼が小泉純一郎というひとりの人間である以上に、この日本国を代表する首相であります。当然、その行動を「個人的なもの」として簡単に片付けるわけにはいきません。

感情を前面に出した小泉首相の姿勢は、一見すると勇ましく、格好良く映るのかもしれません。少なくとも今は中国や韓国などアジア諸国との関係悪化が不安材料となっています。小泉首相はまず、日本の国益を考えなけばならないはずです。今回の行動を見る限り、私は小泉首相は指導者として如何なものかと思います。

戦前~戦中の歴史を振り返ってみれば、当時の日本は正にその強気一点張りの姿勢で外交を展開しました。その結果、日本は世界の潮流から外れて国際連盟を脱退し、孤立を深めて開戦へと突き進んでいったことを忘れてはなりません。

・昭和6年:関東軍の石原莞爾・板垣征四郎ら参謀によって満州事変が引き起こされる(奉天郊外・柳条湖で満鉄を自ら爆破、中国軍に戦いをしかける)。
・昭和7年:関東軍参謀らが満州国を建国。
・昭和8年:国際連盟のリットン調査団が、満州国は日本の傀儡政権であるとしてその解散と日本軍の撤退を勧告。日本はこれを拒否して国際連盟を脱退、国際的孤立を深める。
・昭和12年:盧溝橋事件を機に日中戦争が勃発、泥沼化する。
・昭和15年:日独伊3国同盟が成立。これは事実上の軍事同盟であった。松岡洋右外相、大島浩駐独大使はドイツのヒトラーに心酔。米英との対決が明確化する。
・昭和15~16年:日米交渉が行き詰る。野村吉三郎駐米大使とハル米国務長官との間で和平交渉を進めたが、中国全土からの撤退を巡って話し合いは決裂。
・昭和16年4月:日ソ中立条約成立。松岡外相、モスクワを訪れてスターリンと調印。
・昭和16年12月8日:日本軍、ハワイの真珠湾を奇襲。日米戦争始まる。
・昭和17年6月:日本軍、ミッドウエー海戦で敗北。太平洋の制海権、制空権を失う。その後、ガダルカナル、アッツ、マリアナ沖、サイパンなどでも相次いで敗れる。
・昭和20年3月:東京大空襲。米軍、日本本土上陸のためオリンピック作戦、コロネット作戦を練る。
・昭和20年4月:沖縄に米軍が上陸。
・昭和20年7月26日:連合国、ポツダム宣言を発表。
・昭和20年8月6日:米軍、広島に原子爆弾「リトルボーイ」を投下。
・昭和20年8月8日:ソ連、日ソ中立条約を破棄。日本に対して宣戦を布告。
・昭和20年8月9日:米軍、長崎に原子爆弾「ファットマン」を投下。
・昭和20年8月14日:日本、ポツダム宣言を受諾。
・昭和20年8月30日:米軍のマッカーサー将軍が、厚木飛行場に降り立つ。米軍による日本の占領政策が始まる。

以上は昭和の前史というべきものです。そして、この時々に当時の最高指導者たちはどのように考え、どのような態度を取ったのでしょうか。日中戦争、日米戦争はどうして引き起こされ、だれが意思決定したのでしょうか。私は歴史を振り返るとき、いつもその事を考えてしまいます。

戦争遂行に大きな役割を果たし、陸軍大臣や首相を務めた東条英機。戦いを指揮した軍参謀たち。独伊と軍事同盟を結んで米英との戦争を決定付けた松岡洋右ら外交官。国民の期待を受けて新体制運動を起こし、戦争回避の行動を取りつつも、途中で軍の圧力に屈してしまった近衛文麿首相ら多くの政治家。

敗戦の最終的な責任は、やはりこうした当時の権力者が負わねばならないものです。特に、戦争犯罪人として東京裁判で裁かれた指導者たちの歴史的責任は永久に逃れられないものと思います。そして今、私たちは感情を抑えて冷静に、かつ正確に過去を振り返る必要があるのではないでしょうか。

日本が今後も民主国家として繁栄し、世界の国々の信頼を得ていくためにも、悲惨な戦争を引き起こした昭和の歴史を真摯に見つめることは非常に大事なことであろうと私は思います。

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2006/08/12

田中前知事の敗北に思う

今から6年前、長野県で「脱ダム」を宣言して田中康夫さんが知事選に当選した時、私は「あっぱれだ」と率直に思いました。

無駄な公共事業の象徴ともいわれた「ダム」の建設にストップをかけ、全国的に注目を浴びたばかりではなく、次から次へと話題性のある施策を打ち出した田中さんに、長野県民が大きな期待を寄せたのは当然のことです。

しかし、その後の田中県政はどうだったでしょうか。知事選で敵対した県議会との関係はいっこうに改善されず、議場の内外で議員と対立することもたびたびでしたし、庁内で田中さんと異なる意見を唱える職員たちは遠ざけられたといいます。これは、わずか3年の間に人事異動を54回も行うという「異常」な県政運営からも浮かび上がってきます。

この強引な手法に長野県民はとうとう失望し、先の県知事選では反田中の流れに歯止めがかからなかったのでしょう。

ただ、強権的であったという評価がある一方で、田中さんはマスコミを上手に活用しました。手がけようという施策の中身はどうであれ、マスメディアの注目を集めるため、さまざまなパフォーマンスを繰り広げました。そうした演出を通じて、いわゆる無党派層の支持を得たとの分析もあります。確かに、確かな基盤を持たない田中さんならではの巧みな戦術であったと思います。

■県政混乱の果てに

一般的に、県庁という組織は行政のプロ集団として訓練を積んでおり、個々の政策や事業計画などについて緻密な検討を加えます。県民のために公正な行政運営を行うことを使命とする彼らは、公務員としての自覚と責任を持ち、規律正しく行動します。正に、県民に忠実な奉仕者であることを常に求められる仕事といえます。

絶対的権力を持つ知事が、例えば「気に食わない」「意見が違う」「言うことを聞かない」からと頻繁に人事異動を行ったり、緻密な計算に基づいて計画された事業をいきなり180度転換すれば、行政のプロである職員たちも混乱することは目に見えています。だからこそ、権力者の恣意的行動を防ぐために、憲法や地方自治法、さまざまな条例・規則があるわけです。

その意味で、田中さんは「無法者」との批判も浴びましたし、行政素人の域を脱しきれない面もありました。そして、ここ最近はこの田中さんのように行政や政治に関してまったく経験のない方がメディアを活用することで注目を集め、無党派層の支持を得て首長に当選するケースが意外に多いように思います。

こうして権力を手にした方々は多くの場合、非常にスマートで弁も立ちます。ただ、経験が浅いために行政運営や議会との関係でギクシャクしがちのようです。また、当初は大きかった有権者の期待も、非常に早い段階で失望に変質するような気がします。

やはり、選挙のときは一時の人気やパフォーマンスに惑わされず、冷静に候補者の資質や主張を見極めることが大事なのでしょう。

田中さんの場合、長野県に蔓延していた古い体質を根底から変えてくれる改革者として、多くの県民が大きな期待を寄せていました。しかし、実際にこの6年間の成果を見ると、本来あるべき行政運営の手法から脱線してしまい、県政をさまざまな場面で混乱させてしまっただけのようにも思えます。今回の敗北はやはり、自滅という以外にないようです。

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2006/08/04

小沢代表、来秋のねらい

先月27日の午後、民主党の代表・小沢一郎さんが秋田を訪れました。これはもちろん、来年夏の参議院議員選挙と、その前に行われる地方統一選挙を意識してのことです。選挙を機に党組織がまだ脆弱なこの秋田を何とかしたい、というのが小沢さんの考えであろうと私は思います。

秋田の現在の状況を見ると、県北2区の現職代議士・野呂田芳成さんが郵政改革法案に叛旗を翻して自民党を除名処分となったほか、官房長官を務めた同党の重鎮・村岡兼造さんのご子息・村岡敏英さんも前回、無所属で衆議院議員選挙に出馬しています(秋田3区~結果は落選)。民主党本部では、非自民勢力を結集すれば来年夏の参院選は十分に勝ち目があると分析しています。

確かに、新人の村岡さんはケース・バイ・ケースで民主党支持、民主党寄りのスタンスを取ることもあり得るでしょう。ただ、自民党の代議士として長きにわたって活動してきた野呂田さんの場合、野呂田さんを支持してきた(している)自民党の地方議員まで動かせるかどうかです。

野呂田さんは小沢さんとつながりがある一方、青木幹雄さん(自民党・参議院議員会長)とも来秋の際に会っていると言われております。現在は自民党と民主党から一定の距離を置き、政局の成り行きを眺めていることは想像に難くありません。この一筋縄ではいかないベテランに、どう接触を図るのかも課題のひとつでしょう。

■小沢民主党の戦略

小沢さんの戦略は、全国に29ある1人区で自民党に勝つことにあります。これにより参議院の与野党勢力は逆転し、与党が圧倒的多数を占める衆議院から送られてくる法案にNOを突き付けることが可能となり、自公政権を打倒できると読んでいます。だからこそ小沢さんは来年夏の参議院議員選挙を重視し、政権を獲得する最後のチャンスと位置付けているのです。

国民の間にも、「小沢さんに政権を取らせたい」という声は少なくありません。永田寿康さんのメール問題で最悪の事態に陥った民主党でしたが、代表が前原誠司さんから小沢さんに交代した途端、国民の民主党に対する見方が一変したことは紛れもない事実であります。その意味で民主党は今、上昇気流に乗ろうとしていると私は見ています。

ところで、来秋した小沢さんと私たち地方議員との懇話は和やかなものでした。そのお話を聞き、小沢さんの地方議員に対する期待の大きさもひしひしと伝わってきました。これまで中央重視・都市型だった民主党は、小沢さんの下で大きく方向転換したのです。

国政選挙を勝ち抜くためには、まず地方議員の数を増やし、党組織の裾野を拡大しなければなりません。そのことは、お隣の岩手県で強力な組織を築き上げた小沢さんであれば百も承知でしょう。

■格差社会の是正へ

最後に、小沢さんとのやり取りの中で印象に残ったことをいくつかお知らせいたします。

まず、小沢さんは国が進めている新農政に絶対反対の立場です。特に、20ヘクタールを1単位とする集落営農について、国は価格が下がった場合に3年間の平均値の80パーセントを保証するという政府案については「まったく不充分である」としています。

小沢さんは、国のムダ遣いを改革すればいくらでも価格保証はできると指摘し、「この政策では日本から農村が消滅してしまう」と危惧しています。また、大都市と地方、若者や中高年層に広がる社会格差も、小沢さんは「市場主義政策の大きな誤りに起因している」との見方を示し、小泉政権を批判しました。

小沢さんは、小泉政権は過去に例がないほどマスコミを利用したと言います。そして、時には様々な手を使ってメディアに圧力をかけ、敵対する者を排除してきたことを上げ、「小泉さんは恐ろしいまでに総理総裁の権力を行使してきた人だ」と結論付けています。

今回の懇話会で小沢さんの本音に触れ、「私たちも地方から日本の改革に真剣に取り組まねば」という思いを新たにした次第です。

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