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2006/08/12

田中前知事の敗北に思う

今から6年前、長野県で「脱ダム」を宣言して田中康夫さんが知事選に当選した時、私は「あっぱれだ」と率直に思いました。

無駄な公共事業の象徴ともいわれた「ダム」の建設にストップをかけ、全国的に注目を浴びたばかりではなく、次から次へと話題性のある施策を打ち出した田中さんに、長野県民が大きな期待を寄せたのは当然のことです。

しかし、その後の田中県政はどうだったでしょうか。知事選で敵対した県議会との関係はいっこうに改善されず、議場の内外で議員と対立することもたびたびでしたし、庁内で田中さんと異なる意見を唱える職員たちは遠ざけられたといいます。これは、わずか3年の間に人事異動を54回も行うという「異常」な県政運営からも浮かび上がってきます。

この強引な手法に長野県民はとうとう失望し、先の県知事選では反田中の流れに歯止めがかからなかったのでしょう。

ただ、強権的であったという評価がある一方で、田中さんはマスコミを上手に活用しました。手がけようという施策の中身はどうであれ、マスメディアの注目を集めるため、さまざまなパフォーマンスを繰り広げました。そうした演出を通じて、いわゆる無党派層の支持を得たとの分析もあります。確かに、確かな基盤を持たない田中さんならではの巧みな戦術であったと思います。

■県政混乱の果てに

一般的に、県庁という組織は行政のプロ集団として訓練を積んでおり、個々の政策や事業計画などについて緻密な検討を加えます。県民のために公正な行政運営を行うことを使命とする彼らは、公務員としての自覚と責任を持ち、規律正しく行動します。正に、県民に忠実な奉仕者であることを常に求められる仕事といえます。

絶対的権力を持つ知事が、例えば「気に食わない」「意見が違う」「言うことを聞かない」からと頻繁に人事異動を行ったり、緻密な計算に基づいて計画された事業をいきなり180度転換すれば、行政のプロである職員たちも混乱することは目に見えています。だからこそ、権力者の恣意的行動を防ぐために、憲法や地方自治法、さまざまな条例・規則があるわけです。

その意味で、田中さんは「無法者」との批判も浴びましたし、行政素人の域を脱しきれない面もありました。そして、ここ最近はこの田中さんのように行政や政治に関してまったく経験のない方がメディアを活用することで注目を集め、無党派層の支持を得て首長に当選するケースが意外に多いように思います。

こうして権力を手にした方々は多くの場合、非常にスマートで弁も立ちます。ただ、経験が浅いために行政運営や議会との関係でギクシャクしがちのようです。また、当初は大きかった有権者の期待も、非常に早い段階で失望に変質するような気がします。

やはり、選挙のときは一時の人気やパフォーマンスに惑わされず、冷静に候補者の資質や主張を見極めることが大事なのでしょう。

田中さんの場合、長野県に蔓延していた古い体質を根底から変えてくれる改革者として、多くの県民が大きな期待を寄せていました。しかし、実際にこの6年間の成果を見ると、本来あるべき行政運営の手法から脱線してしまい、県政をさまざまな場面で混乱させてしまっただけのようにも思えます。今回の敗北はやはり、自滅という以外にないようです。

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