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2006/11/03

北朝鮮のしたたかな外交

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、ようやく6ヶ国協議の再開に同意しました。軍事行動を除く国連のあらゆる制裁決議、さらには後ろ盾となってきた中国のプレッシャーに、あの金正日総書記も応じるしかなかったのでしょう。報道では北朝鮮側が協議再開に関して条件を付けなかったとしていますが、彼らは何かしらの策を講じていると見るべきです。

これは、北朝鮮のこれまでの外交手法を思い起こせば容易に推察されます。例えば93年から94年にかけて、北朝鮮はNPT(核拡散防止条約)からの脱退を宣言して核開発の動きを見せ、米国は軍事行動を検討しつつもカーター元大統領を訪朝させたことがありました。この時、北朝鮮は核開発の凍結を約束した代わりに、平和利用のための軽水炉の供与を認めさせています。

ところが北朝鮮はその後、米国を騙して密かに核開発を進め、ついには核実験を強行したのです。これは、小泉元首相が訪朝して金総書記と会談、平壌(ピョンヤン)宣言までした我が国との約束をも反故にする行為といえます。これは北朝鮮のしたたかさを示すものであるのと同時に、小泉内閣の対北朝鮮外交が失敗したことを意味しています。

一般的に、欧米人は社交的で物腰が柔らかく、レセプションなどでは抱きつかんばかりの親密な態度を見せます。しかし、一旦外交交渉のテーブルにつくと、その表情は途端に厳しくなり、あらゆる術を用いて自己の主張を通そうとするのです。逆に日本人は民族性なのか、どちらかと言えば単純な思考をする傾向があるように思います。その良し悪しは別として、外交交渉の場ではそこに付け込まれて相手方に押し切られてしまいがちです。

日本は明治維新以降、日清・日露・日中と戦争の時代が続き、ついには太平洋をはさんで米国と対決するという無謀な戦いに突入しました。この間、日本は国家として生き残る道を常に模索し、すさまじいまでの外交交渉を繰り返してきました。

日露戦争の際は、米国のルーズベルト大統領(当時)の仲介によりポーツマスで和平交渉を進めましたが、この時の日本外交団の努力は並大抵ではなかったのです。外務大臣も務めた大物の全権大使・小村寿太郎が、ロシアのウイッテ全権大使を相手に1歩も引かず、粘り強い交渉を続けて講和条約を成立させたことを忘れてはなりません。

この時の小村の活躍は、日本の外交史に燦然と輝くものです。外務官僚には是非とも、身体を張ってこの国を守ろうとした小村の姿に学び、もっともっと努力してもらわねばなりません。一方、私たち国民も対北朝鮮とそれを巡る一連の動きを漫然と眺めているのではなく、もっと注意深く見つめていかなければならないと考えます。

今、日本では一部でいわゆる「核保有論」が論じられております。しかし、日本が核を持つことでアジアの軍事的なバランスが崩れるのを恐れる大国(米・中・露)は、我が国の核保有を阻止しようとするでしょう。日本は米国の核の傘の下、さまざまな脅威から守られているということと、軍事拡張をコントロールされてきたということ―すなわち、日米安全保障条約の2面性を理解する必要があります。

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