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2007/01/20

団塊の世代と機械文明

団塊の世代の多くは、その人生の大部分を会社と運命を共にした「会社人間」でありました。さらに、この時代は工場にあらゆる近代的な生産設備が導入され、オフィスにも最新技術を盛り込んだ事務機器やコンピューターが次々と設置された「機械文明」の時代であったともいえます。

その一方、工場の生産ラインで働く人々は単純労働を強いられ、人間は歯車化されました。そして工場から排出される汚染物質や騒音などは環境を蝕み、公害が大きな社会問題として注目されたことも見逃してはなりません。

この公害について国は当初、さほど真剣に考えていなかったように思えます。ところが、問題が大きくなるにつれて放置できなくなり、公害基本法を制定して環境庁を置き、これが現在の環境省となって取り締まりや指導の体制を充実させ、徹底した対策を講じるまでになっています。もちろん、これで充分とは言えない面もあるのですが、先進国の中でも取り組みそのものは画期的であったのではないでしょうか。

さて、話を先ほどの「機械文明」に戻しますと、この時代は思想の世界で「人間の疎外」という問題がずいぶん熱心に論じられました。労働者は生産現場で機械に振り回され、単純な作業の繰り返しによって本来の人間性を失うとか、あるいは会社や役所という名の巨大な組織の中に飲み込まれてしまい、人間の自由な発想や行動を損なうとか、さまざまな角度から人間への問題が語られたものです。

私自身は大学卒業後に大学院で3年を過ごし、この時代もその後も比較的自由奔放に生きてきました。それは、巨大な組織の中に埋没したくないという気持ちが非常に強かったからであろうと思います。ただ、組織に頼らないことで、孤独感や生きることの辛さを味わうことも度々でした。

今、日本には230万のフリーターと80万人のニートがいると言われております。

実を言えば、私はフリーターの元祖のような人間でありました。フリーターは働きたいときだけ働き、旅行したいときには旅行をし、誰からも拘束されることなく自由自在に生きることが可能です。これは若者にとって大いに魅力的な生活でしょう。しかし、フリーターには将来に対する保証が何ひとつありません。また、フリーターの先輩として私が申し上げたいのは、「社会から取り残されたという大きな疎外感に襲われるときがいずれやってくる」ということです。

ただ、今の時代はフリーターという身分から脱出したいと思っても、なかなか抜け出せないという厳しい現実があります。脱フリーターを目指す若者に、国はどのように手を差し伸べるべきなのか。政治にその解決に向けた取り組みが早急に求められていると私は思います。

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