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2007/05/11

日本国憲法制定の背景

5月3日は60回目の憲法記念日でありました。

では、この憲法がどのような背景の下で生まれたのでしょうか。今、改めて考えてみたいと思います。

昭和20年8月30日、アメリカ軍のダグラス・マッカーサー元帥が神奈川県厚木飛行場に降り立ちました。連合国軍総司令部(GHQ)の最高司令官に就任したマッカーサーは在任中、絶大な権力をふるって日本を統治しています。彼は、日本そのものを大きく変えたいという強い意志を持っていました。つまり、天皇主権の下で国民の末端にまで封建主義が染み渡り、国民が圧制の下で苦しんだ状況から解放し、民主主義国家を築こうとしたわけです。

そのために、マッカーサーはまず農地の解放、財閥の解体、軍隊の解散、治安維持法の廃止に取り組みます。これはいずれも封建社会を支えた制度であり、これを止めて労働者への権利の付与や婦人参政権の確立、神道の改革など新しい国にふさわしい新しい制度をどんどん取り入れました。

そして、彼が行った最も大きな改革は、日本という国家の基本法であった明治憲法を改正し、新しい民主国家に必要な民主憲法を制定することでした。

マッカーサーの回顧録によりますと、彼は最初から強制的にアメリカの憲法を押し付けることはせず、日本側が自主的に改正するのが望ましいとの立場を取ったそうです。そこで彼は、日本側の指導者に対して「改正して欲しい」と強調したと言います。一方、日本側はこの意を受けて幣原喜重郎首相が任命した松本蒸治博士を委員長とする「憲法問題調査委員会」を発足させます(昭和20年10月)。

ただし、この委員会を作った改正案は天皇主権をそのまま残してあり、旧明治憲法の文言を少しばかり変更した程度のものであったとされます。こうした日本側の改正作業に業を煮やしたマッカーサーは、アメリカ国務省の強い要求を受けたこともあり、独自に憲法草案作りを始めることになったのです。

この作業はマッカーサーが指揮するGHQ民生局のスタッフたちによって進められ、非常に短い期間でまとめ上げられました。この草案こそが今日の日本国憲法の原案そのものなのですが、これを示された日本側指導者は誰もが驚き、「日本の伝統にそぐわない」と反対しました。しかし、結局はGHQに押し切られ、受け入れざるを得なくなってしまいます。

このような制定の経過をたどった今日の日本国憲法については、中曽根康弘元首相ら日本の保守的指導者の多くが一貫して「自主憲法の制定」を強く主張してきたのです。

※続く

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