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2007/05/04

県議会会派構成の顛末(2)

今回、各会派が水面下で繰り広げた攻防をじっくり観察すると、知事部局の工作が自民側を刺激し、その結束を高めた可能性が高かったと言えます。結果として自民は単独で過半数を占めたのですから、知事部局の完敗は明らかであります。

そして、寺田知事を頂点とする執行部が、今回のように議会の会派構成に介入することは避けるべきであったと、私自身は思います。

地方自治法によれば、議会は行政に従属する機関ではなく、独立したものであると規定されています。それも、執行部に対する「監視機関」であるという位置付けが明確に示されているのです。その議会の会派構成に強引に口を出すことは、地方自治の精神に反する行為ですし、応じる議員も不見識であると言わざるを得ません。

私の知る限り、執行部がこのように会派構成に強く介入した例は過去にありません。長期政権となった小畑県政時代、佐々木県政時代でも、知事の意を受けた職員が議員を口説いて所属会派を決めるなどというケースはなかったのです。

県議会議員は政治家であり、それぞれが強い意見・意思を持っているはずです。権力者の工作に屈してその意見・意思を簡単に曲げてしまうようでは、有権者の負託に応えられるはずなどありません。

いずれにしても、今回の議会会派構成を巡る攻防は、自民の単独過半数確保という結果に終わってしまいました。今後、寺田知事の県政運営は非常に厳しくなるであろう――ということだけは、衆目の一致するところでしょう。

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