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2007/07/19

宮澤さんとプラザ合意

宮澤さんの経済政策を振り返るとき、キーワードのひとつとなるのが「プラザ合意」です。

1985年、時の大蔵大臣だった宮澤さんは、ニューヨークのプラザホテルで開かれた主要5ヶ国蔵相会議に出席しています。そして、この会議で決定された事項はプラザ合意と呼ばれ、1990年代から2000年代までの日本の金融政策や経済全体に大きな影響を与えることとなりました。

当時の円は1ドル=240円前後。米国はドル高と高金利政策、日米間の貿易不均衡の拡大などにより、国際収支が最悪の状態を続けていました。日本はこのプラザ合意に基づき、円安是正と内需拡大に向けて政策転換します。

これによって円は急騰して2年後には1ドル=120円の時代が到来しましたが、輸出産業は大きな打撃を受けます。そこで政府は、この円高不況を乗り切るために公定歩合を一気に引き下げました(1985~1986年)。ところが、この金融緩和政策は土地や株への投資を加速させ、日本はバブル景気に突入したのです。

大都市圏や地方の中核都市に至るまで、日本列島の地価はこれによって跳ね上がり、株価も時価総額600兆円近くまで膨らむという時代でありました。

しかし、1990年に入って政府が金融引き締めと土地投資を規制する政策を打ち出したのを受けてバブルは弾け、地価と株価は急落、大企業や銀行の倒産が相次ぐ大不況時代を迎えます。特にこの時期、銀行は巨額の不良債権を抱え、金融不安に拍車をかけたのです。

1991年、こうした状況の中で誕生したのが宮澤内閣でありました。総理に就任した宮澤さんはまず、国内経済を立て直すために大量の国債を発行し、政府による公共投資を積極的に推し進めます。2年後に宮澤さんは退陣しましたがその後(1998年)、小渕恵三総理に請われて再び大蔵大臣に就任しました。この時もやはり、金融危機への対応と不況を乗り切るための公共投資に力を注いでいます。

宮澤さんはイギリスの近代経済学者ジョン・メイナード・ケインズの考え方に則り、国債による資金調達によって政府が公共投資を増やし、これによって国内の経済全体を浮揚させるという政策(総需要喚起)を採りましたが、日本の景気は回復しませんでした。つまり、宮澤さんの政策は大失敗に終わったのです。

バブル景気の崩壊から今日に至るまで、政府の公共投資は実に450兆円にも達し、その一方で政府や地方自治体の抱える借金も1000兆円規模になろうとしています。

2001年に小泉内閣が誕生しますが、小泉総理は公共投資によって民間需要を喚起させるというケインズ流の考え方を改め、アメリカの世界的経済学者ミルトン・フリードマンの政策を取り入れました。彼の考え方は、通貨供給量の調節でインフレやデフレを制御できるというもので、また経済については政府が積極的に介在しない「市場主義」を原則としています。

このフリードマンの考え方に基づく小泉さんの金融・経済政策はある程度の成果を上げたと思います。しかしながら、逆に「格差社会」など新たな課題を産んだのもまた事実です。

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2007/07/08

宮澤元総理の思い出

第78代内閣総理大臣を務められた宮澤喜一さんは戦前、東京大学(当時は東京帝国大学)在学中に日米交換留学生としてハーバード大学に留学しています。一方、アメリカ側からはハーバード大学の学生だったエレノア・ハドレイさんという女子学生が東京大学に留学、日本の財閥の研究をして帰国されました。

そのハドレイさんは戦後に再び来日し、マッカーサー司令部(GHQ)の指令による財閥解体に携わっています。ハドレイさんは才色兼備で知られ、ご自身もアメリカの財閥出身であったそうです。

私が今から20年以上前、仕事で渡米した際に、ミシガン州のデトロイト郊外でたまたまハドレイさんにお会いする機会がありました。既に高齢でしたが、知性と品格を兼ね備えた素晴らしい方で、交換留学生であった宮澤さんのこともよくご存知でした。

日本に帰ってしばらくしてから、ある国会議員のパーティーに出席し、そこで宮澤さんに偶然お会いしてハドレイさんの話をいたしましたところ、大変驚かれて「え?ハドレイさんはまだ生きておられたんですか」とおっしゃいました。

宮澤さんは「それはそれは大変に美しい方でしたよ。高松さんはどうしてハドレイさんにお会いしたのですか」と質問され、さらにはハドレイさんの現住所まで訊ねられました。ハドレイさんは当時シアトル近郊にお住すまいでしたので、それを伝えた記憶があります。

本当に短い会話でしたけれども、宮澤さんがとても懐かしそうにハドレイさんのことをお話しになる姿が忘れられず、ハドレイさんと私が写った写真を宮澤さんの事務所にお送りしたものです。私にとって、このことは未だに忘れられない思い出になっています。

ところで、ハドレイさんのことは後日、かつて三井不動産の社長であった江戸英雄さんの本の中で紹介されているのを見つけ、財閥解体に関わった経緯などを詳しく知ることができました。この本によれば、財閥解体の時に三井家の大番頭であった江戸さんはハドレイさんと渡り合い、三井家の株をGHQ司令部に引き渡す場面にも立ち会ったそうです。

宮澤さんは、こうした戦後史を知る政治家のひとりでありました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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2007/07/05

6月定例会を振り返る(3)

さて、それでは今後の県政はどう動くのでしょうか。私なりの分析を紹介したいと思います。

まず、1会期で重要案件がひとつも議会で承認を得られなかったということを重く見なければなりません。このことから、寺田知事の求心力は急激に失われつつあると考えられます。寺田知事が今後、最大会派の自民党を含めた県議会との対決姿勢を改めない限り、緊張関係はさらに続く恐れがあります。

また、県職員の給与引き下げ案をめぐっては、寺田知事は自身の支援団体でもある県職労、自治労、そして連合秋田との関係も悪化させてしまいました。これは四面楚歌に等しい状況です。寺田知事は県議会やこれら諸団体を敵に回すことをしても、世論が自分を支持してくれるという強気の読みをしているのでしょうが、県民の生の声を聞くとそれは難しいと言わざるを得ません。

6月定例会では、私が提案していた「子育て支援と教育などに関する特別委員会」が県議全員の同意を得て発足することになりましたが、この委員会で議会側は理論武装するのは確実です。そして、新税なしでも事業は可能であるとの結論に達するものと見られています。

もしそうなった時(おそらく12月定例会と思われます)、寺田知事と県議会の関係はいっそう緊迫したものとなるはずです。

そして、県財政の問題も忘れてはなりません。私も既にブログでご説明申し上げましたが、6月定例会の予算特別委員会の総括質疑でも改めて取り上げました。県財政を破綻状態に陥らせた原因は、財政運営の見通しを誤ったことにあります。つまり、財政運用の失敗なのです。

この問題は秋田県の屋台骨にかかわる重要な事案であり、今後の県政運営の在り方を論じる上で大きな争点となることは避けられそうにありません。

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2007/07/02

6月定例会を振り返る(2)

副知事2人を起用する人事案件が一部否決されたのを受け、寺田知事は記者会見で「多数決の横暴、いじめだ」などと話して最大会派・自民党への怒りを露わにしたといいます。率直に申し上げると、「いくら頭に血が上ったとしても、県知事の公的な発言としては余りにも軽すぎるのではないか」と感じた次第です。

自民党は否決の理由について表向き、行革の流れや役割分担がはっきりしない点を挙げています。しかし、実際にはもっと深い事情があると考えられます。

例えば、今年4月に行われた秋田県議会議員選挙。寺田知事は県政の安定運営を継続させようと思ったのか、与党会派の候補者へのテコ入れを積極的に行っています。具体的には7人の候補者の決起集会や大集会に出席し、盛んにその候補者を持ち上げる発言をしたと聞いております。

無投票で自民党が議席を独占すると見られていたある選挙区では、刺客と言うべき新人の対立候補者を選挙直前に送り込み、結果として自民党の新人候補1人が落選してしまいました。この刺客候補の擁立には、寺田知事が深く関わっていたとされております。また、他の選挙区でも寺田県政に批判的な現職追い落としの策をめぐらせたとの声もあります。

選挙へのこうした関わり方は、歴代知事には見られなかったものです。そして、この寺田知事の振る舞いを自民党も内心、苦々しく思っていたとしても不思議ではありません。さらに、選挙後の会派構成の際に口を出し、新人議員の引き抜きに動いたことも自民党を大いに刺激したと思われます。

副知事就任に同意を得られなかった渡部文靖氏(知事公室長)は寺田知事の意を汲み、この会派構成の裏舞台で奔走したという報道がありました。それが県政の運営にはプラスになるという判断があったのでしょう。しかし、独立した機関である県議会の会派構成に、知事や知事公室長が積極的に関与するということは決して好ましいことではないですし、ある意味では「禁じ手」であったと私は思うのです。

そして、こうした一連の流れの中で自民党がいかに態度を硬化させていたのかを読めなかった――というのは寺田知事の見通しの甘さであります。渡部氏を副知事に起用する人事案件に同意が得られなかった陰には、こうした事情があったと考えられるのです。

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2007/07/01

6月定例会を振り返る(1)

秋田県議会の6月定例会は異例尽くめでした。重要案件すべてが否決されたり、継続審議となって議会の承認を得ることができなかったのです。私にとってこれは初めての経験ですし、恐らく過去にもこのようなケースはなかったのではないかと思います。

まず、県職員給与の削減案です。これは警察官や学校の学校の先生、現業部門を含むすべての県職員の給与を一律5パーセント、2年間引き下げるというものでした。事の始まりは至極簡単で、県側が長年積み重ねてきた県職員労働組合との話し合い――つまり「労使慣行」を無視して一方的に、それも議会に提案するその日の朝に組合に対して通告したというのです。これでは、組合側が怒るのも当たり前です。

その後、組合は県と5回の交渉を行いましたが、ほとんど門前払いの扱いをされ、最後の1回でようやく話し合いらしい形になったと言います。この際、組合側は「5パーセントの2年間ではなく、2パーセントの5年間ではどうか」と提案し、妥協点を見出そうとしていました。しかし、県はその提案を受け入れることなく交渉を打ち切り、議会に改正の条例案を上げてきました。

議会は組合と交渉の途中であることを重視し、再び話し合いを続けるべきとの意見が大勢を占め、「双方が合意した上で再提案してください」という結論に至ったのは当然のことであります。議会側には労使間のことをこのような形でゲタを預けられ、結果として対立に中に巻き込まれることは避けたいという常識的な判断があったとも思います。いずれにしても、寺田知事のこの一方的な提案が、このような事態を招いたことは否定できないでしょう。

また、県側には「県職員は高い給料を貰っている。なぜ、その程度の協力ができないのか」という方向に導いて、世論を味方につけようという思惑があったはずです。しかし、こうした世論誘導は明らかにおかしいと私は思いますし、問題のすり替えであると考えるのです。

今、県は1兆2千億円以上という巨額の借金を抱え、来年度は243億円の歳入不足となるこから予算を組めない状態になっております。正に県の財政は破綻寸前であり、6月定例会における県の行動には焦りが見えます。そして、このような窮地に陥った原因は県の財政運用の見通しの甘さにあることは、今さらここで指摘するまでもないことです。

ところが、県は財政悪化の理由を国の三位一体改革で地方交付税や国庫補助金が急に減額されたことに求め、「どうにもならなくなった」と説明し、まるで国のやり方が悪いと言わんばかりです。もちろん国の制度も一因ではありますが、将来の見通しを立てることなく毎年のように莫大な県債を発行し、基金を取り崩して際限のない公共投資を続けてきたのは他ならぬ寺田知事です。そのツケが今、噴き出してきたことは明らかであり、寺田知事による財政運用の失敗は明白です。

寺田知事は財政悪化の背景をしっかり説明し、自身の責任を明らかにして陳謝した上で、職員の皆さんに協力を要請するのが筋であると私は思います。これが私たち県議会に対しても同じです。当選したばかりの新人議員が張り切って初登庁した臨時議会(5月)で、いきなり事前の相談もなしに報酬の1/10削減を要求して理解が得られるものでしょうか。さらに、反発する議会に対して「提案権は我々にある」と言うのは居直りにさえ見えます。

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