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2007/12/22

平野美術館移転の問題点

秋田市中通地区の日赤旧婦人会館跡地の再開発が進められておりますが、この計画案は今まで二転三転しています。

石川前市長のときは商業施設の目玉として芸術ホールの話が持ち上がりましたが、佐竹現市長に代わった途端にこの構想は白紙に戻され、佐竹史料館の移転話が浮上。ところが、この案には地主である県側が難色を示しています。寺田知事自ら反対を唱えたのです。さてどうなるものかと思っていたら、今度は県がすぐ側にある平野政吉美術館を移転させたいと言い出しました。

これには佐竹市長も呼吸が合ったのか、あっという間に話はまとまり、平野美術館が移転した跡地に佐竹史料館を移すというところまで固まりつつあります。しかし、この構想は当の平野美術館を運営する財団法人には何の相談もないまま、県と市が頭越しに話し合って進めたものです。これに平野美術館側が驚いたのは無理からぬことと思います。

そもそも、平野美術館が入居している建物は県の所有です。しかし、展示されている美術品は美術館運営に当たっている財団法人が所有しています。これを勝手に移動させようとする県側の姿勢はどこかおかしいと感じた私は、この問題を18日の予算特別委員会で取り上げ、与えられた30分という時間の枠を使って県側と徹底的に議論いたしました。

私は、美術館を再開発事業の目玉として「客寄せパンダ」に使うということ自体が間違っていると考えます。ましてや、平野美術館は県内屈指の資産家だった平野政吉氏(故人)が、巨費とその生涯をかけて収集したものであり、親交の深かった大画伯・藤田嗣治氏(故人)の作品をはじめとする600余点もの美術品や資料は大変に貴重なものです。

同美術館が所蔵する世界的評価の高い藤田画伯の絵画101点や、秋田の年中行事を描いた大壁画に加え、その建物自体も千秋公園の景観にマッチしたデザインで、館内も藤田画伯の意向を取り入れて宮殿作りとし、ギリシャ式の回廊を設けた素晴らしい建築物として県民・市民に愛されてきました。これらすべてを含めて、私は平野美術館は永久の宝物であり、秋田が世界に誇れる数少ない財産であると認識しております。

■近代美術館の失敗に学べ

かつて、県立近代美術館を建設しようというとき、設立委員会の意向を無視した当時の県上層部が強引に横手市の「秋田ふるさと村」を建設地に決めています。しかし、それは失敗だったという声がオープンから間もなくして聞こえてくるようになりました。というのも、人口が集中している秋田市からあまりに遠く、多くの美術愛好家がその不便さに不満を募らせたからです。

当時は秋田ふるさと村を訪れる観光客をアテにしていたのでしょうが、実際に美術館を利用しているのは入村者の1/10に過ぎません。そもそも、観光施設である秋田ふるさと村と、文化施設である美術館の客層が違う―ということに気付いてなかったのがこの失敗の原因と言っても過言ではありません。

平野美術館も同様に、来訪者の大半は藤田画伯の作品など美術に興味を持つ方たちでしょう。買物客が物珍しさからちょっと立ち寄る、という施設ではないのです。美術館の建物が老朽化して建て替えが必要なのであれば、現在地にしっかりとした(それも100年、200年も耐えられるような)建物を作るべきです。そして、現在の建物が得ている芸術的な評価に負けないものにして欲しいと思います。

文化・芸術的な財産を客寄せパンダにしようという案は、商業地域の活性化を目指す再開発事業にはそぐわないものです。ビル街の一角に個性のないありきたりの施設を作り、そこに秋田が世界に誇る美術品を移そうという安易な計画はこの際、白紙に戻して考え直すべきではないでしょうか。

私たち県民は平野美術館の宝物を大事に守り、次の世代に受け継いでいかなければなりません。おそらく、美術品の専門家や愛好家も今回の計画を悲しんでいる はずです。

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2007/12/15

いつまで続く特定財源

「お前は道路を作ることに反対するのか」と強く迫られたら、私も含めて大概の政治家は「いやいや、決してそうではない」と言い訳してしまいがちです。そして、何十年も続いてきた既得権を打ち破ることの難しさを感じます。それが「道路特定財源」問題の根源であります。

急激なマイカーの普及とそれに伴う道路建設が必要となり、かつ建設費の財源が不足していた時代に、田中角栄氏(元首相)が着目したのはガソリン税や自動車取得税、自動車重量税でした。そして、建設省(現・国土交通省)や道路族と呼ばれる国会議員たちがガッチリとスクラムを組み、長年にわたってこの「美味しい既得権」を聖域化してきたのです(それ故、道路予算を左右できる自民党の道路調査会長は、大変な権限を持っています)。

ガソリンについては1970年代の初め、財源が不足したということで「一定の期間に限って」という条件を付けて暫定税率を導入、1リットルあたり25円を上乗せし、それが今日まで続いています。これによって、国民は1リットルあたり51~52円の税金を納めているのです。 しかし、現代においてはこの道路建設を目的とした特定財源による税収は余りがちとなっています。そこで、「暫定的に上乗せした25円だけでも廃止できないか」という意見が国民の間から出てくるのは至極当然なことです。ましてや、ガソリン価格がこれだけ高騰しているのですから、こうした国民の悲鳴にも似た声はますます大きくなるでしょう。

ところが、政府自民党はガンとしてこれに応じません。この背景には「道路建設はまだまだ必要だ」という地方の大合唱があります。しかし、こうした要求をすべて満たそうとしたら、いつまで経っても道路を新しく作り続けることになると思うのです。日本中を道路だらけにして国家財政が破綻するまで、この既得権を手放さない―というのでは話になりません。

一方、真剣に国の台所事情や国民の生活を考えている政治家は、道路建設だけに使用されている特別財源を何にでも自由に使える一般財源化すべきと主張しています。小泉内閣や安倍内閣もこの一般財源化を図ろうとしましたが、結局はわずかな部分だけの移譲で終わってしまいました。これは、既得権を守ろうとする側の反発がいかに大きかったかを示すものです。

今、国民は2つの階層にはっきり分かれつつあります。裕福な高額納税者層はほんのひと握りであり、日々の生活に不安を抱える国民が圧倒的多数ではないでしょうか。名目上は中間層と呼ばれる国民がまだまだ多いとは言え、どんなに働いてもまともな収入が得られない「ワーキング・プア」が増加傾向にあることはよく知られています。 フリーター、パートタイマーなど所得が少なく、将来の保障さえ見込めない層は数百万人いるとされます。乏しい年金を頼りにツメに火を灯すような暮らしをするお年寄が、都会にも地方にも大勢います。

この現実を直視したならば、道路建設どころではないのです。 政府自民党は急いで年金改革に着手し、まずはお年寄りが生活できるように最低限の保障をしなければならないと思います。そして、ワーキングプアの問題も看過すべきではありません。この国の基本法である憲法は、国民が最低限の生活を送る権利を有するとし、国はそれを保障しなければならないとしているのです。

削られる一方の福祉や医療、展望の見えない農業、中央の大資本に対抗できない地方の中小商工業者―。予算はいくらあっても足りないくらいです。それを考えれば、道路予算は国土交通省の予算で賄うべきであり、道路建設以外に使えない何兆円もの特定財源を聖域化する理由はどこにもないはずです。なるべく早い時期に一般財源化し、福祉や教育、産業振興など不足している予算に充てるべき時期を迎えています。

私たち民主党は「せめて暫定税率だけでも廃止するべき」と訴えています。今の政治の流れを変える第1歩は、正にこうしたところから始まると私は思うのです。

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2007/12/08

悩める政治家たち

県議会議員であれ国会議員であれ、ほとんどの政治家が共通して抱える悩みはその活動の重点をどこに置くかです。選挙対策を優先するのか、あるいは政策を重視するのか、そのバランスが実に難しいと言えます。

選挙に強くなりたければ、地盤の強化が必要不可欠です。毎日のように地元を歩き、支持者を回って御用聞きに努め、冠婚葬祭には欠かさず顔を出します。これが、いわゆるドブ板選挙と呼ばれるものです。私が知っているある議員は、車のトランクの中にロウソクや線香、香典袋にちょっとしたお菓子など「七つ道具」を常に準備しています。何時でも何処でも、これを使って即対応するのというわけです。

この日常活動の繰り返しによって地盤は固まり、おのずと選挙にも強くなります。また、住民の側にもこうした政治家は身近な存在であり、やがて「良い先生」という評価につながります。しかし、こうしたタイプの議員は勉強する時間が削られて政策論争に弱くなり、一部にはあまり政策に関心を示さなくなる傾向も見られます。この度合いが進むと、議会では物分りの良い「賛成」一辺倒の議員になってしまいます。こうした議員は、執行部(当局側)にとってありがたい存在かもしれません。

逆に、政策に重きを置く議員もいます。彼らも地元のことは気にしつつも、県や国の政策を熱心に調べ、情報収集にも力を入れています。勉強すればするほど行政の分野は奥が深く、際限がありません。特に昨今の政策はどの分野でも細分化され、より専門的になっているのです。福祉の分野ひとつをとっても、気が遠くなるほど項目は広範多岐にわたり、全体の概要をつかむだけでも大変なことです。これが予算や財政の分野となれば、それこそ専門書を首っ引きで調べ、時には執行部に直接たずねることもあります。

行政側が打ち出すさまざまな政策を理解して問題点を整理し、議会の委員会で深みのある議論を展開するのは容易なことではありません。しかし、熱心に勉強するからこそ、当局にとって油断のできない議員として一目も二目も置かれます。政治家としてひとつの使命感を持って政策の研究に没頭すると時間が奪われ、特に国会議員は東京に張り付かざるを得ません。当然、地元の選挙区対策はおろそかになりがりです。そして、これが選挙を戦う上で大きなマイナとなることも否定できません。

したがって、政治家はどちらも大切な活動だと思いつつ、このバランスをどう取るかでいつも頭を悩ませています。かく言う私自身もそれは同じです。県議会議員1年生のときから現在に至るまで、いつもこのバランスに苦労してきました。政治家がこうした悩みを抱えていることは、一般の有権者の皆さんにはなかなか伝わらないと思います。政治家を特殊な人種と見る方もいらっしゃるかもしれません。しかし、こうしたフィルターを通して政治家の活動を観察することで、新たな1面を発見し、よりその実像を理解できるのではないでしょうか。

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