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2008/05/19

佐々木前知事を偲んで

佐々木喜久治前秋田県知事の葬儀が5月17日、秋田市で行われ、私も出席いたしました。

祭壇に飾られた佐々木前知事の写真は、往年の自信に満ちた表情でした。寺田現知事はもちろんのこと、かつての出納長や部長、秘書課長、そして各市町村長、各種団体、各界各層の方々が多数駆けつけ、盛大な葬儀となりました。

私が1991年に県議会議員選挙(山本郡選挙区)に初当選した際、佐々木前知事は3期目の終わりくらいであったと記憶しています。県政トップとして脂が乗っていた当時の佐々木前知事とは、県議会で直接渡り合ったことが幾度となくあり、今となってはどれもが思い出深い出来事です。

その佐々木前知事の印象を一言で表すとしたら、やはり「威厳のある人物」でしょうか。しかも、行政については誰よりも詳しい方でした。

知事室は県庁3階の奥のほうにあるのですが、私が1~2年生議員の頃は恐れ多くて直接訪問することなど滅多になかったものです。しかしながら、佐々木前知事自身は決して偉ぶってはおらず、1対1で話すと実に優しく、人柄の良い方であったと思います。

新聞などでも紹介しておりましたが、佐々木前知事の業績も非常に大きいものでした。新幹線と高速道路網の整備、大館能代空港の建設、県立大学の設置、大潟村のバイオや高度技術研究所を初めとする各種研究機関の立ち上げなど、今日の秋田県の基礎的な部分は佐々木前知事の下で手がけられたものです。

時代も確かに良かったかもしれません。佐々木前知事が采配をふるった1970年代後半から80年代にかけてはバブル景気の影響で税収も右肩上がりでしたから、県内各地区からの要望に応え、いくつもの大型事業を進めることができました。当時は県南のフォレスタ鳥海や県北の十和田ホテルなど、県内にいくつもの宿泊施設を建設したほどです。私はさすがにこれは如何なものかと考え、議会で「行き過ぎたハコモノ行政ではないか」と議会で指摘したのですが、佐々木前知事に「何を以ってハコモノと言うのか」と切り返されたことを今でも鮮明に覚えております。

それほどの人物が、たったひとつの失敗――食糧費問題の責任を取って任期途中で辞任されたことはとても残念なことでありました。

私自身も、この食糧費問題がきっかけとなって自民会派を離脱して、志を共にする10人の議員たちと新たな会派・県民クラブを作り、議会で論陣を張ることになったことを思えば、やはり感慨深いものがあります。5期目を迎えていた佐々木前知事の時、たまたま食糧費問題が発覚したのですから、ご本人も途中辞任はさぞ無念であったと思います。

今だから言えることですが、4期目を終える頃の佐々木前知事は続投するかどうかで迷っていたように思います。そこで自民党の楢岡幹事長、谷藤総務会長らが前知事を訪ねて出馬を促し、会派にそのいきさつを説明したことがありました。この時、私は「県議団として決めてもいないのに、なぜ3役の皆さんは何の相談もなく勝手にそんなことをするのですか」と詰め寄り、幹事長らを困らせたものです。

「もし」の話をすれば、佐々木前知事があの時に4期で辞めていれば、食糧費問題の責任者として厳しい非難を受けることなく、今以上に「名知事」という評価を得て、秋田県の歴史にその名を残していたかもかもしれません。やはり、権力者の引き際というのは難しいものです。

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