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2008/06/18

秋葉原殺傷事件に思う

ただ道を歩いていただけの一般市民が次々とトラックで轢かれ、そしてナイフで刺される。この理解に苦しむ連続殺傷事件に心が痛みます。しかも、この事件を真似た犯行予告が相次いでいるといいます。異様な犯罪の連鎖現象と呼ぶべきなのでしょうか。この事件は正に、日本の社会がすっかり変わってしまったことを象徴しているように思えてなりません。

私が幼かった頃、日本はまだまだ貧しい国でした。しかし、多くの家庭には両親や祖父母が子供たちといっしょに暮らし、共に食事をし、一家団欒の光景がありました。いわゆる家庭の温かさを感じることができたのです。子供たちばかりでなく大人たちも未来に目を向け、生き生きとしていました。社会全体が躍動感に満ちていたのです。

地域の人々たちの連携も密で、思いやりやいたわりの気持ちもありました。お互いに助け合っていこうという意識は、今よりもずっと強いものでした。特に若者たちは純粋でしたし、勉学に励んでいました。大半が、将来の夢をしっかり持っていたと思います。

しかし、今はどうでしょうか。核家族化が進んで、生活のために母親も働いているという家庭も珍しくありません。そうでなくても、趣味や仲間同士の集まりで外出がちという主婦の方もいらっしゃるでしょう。つまり、かつての日本とはライフスタイルそのものが大きく変質しており、家族が顔を揃えて食事をしたり、テレビの前に集まって家族団欒を楽しむという機会すらなかなか持てなくなっています。

子供たちが深刻な悩みを抱えていたとして、めったに会わない家族に相談することはできませんし、また家族もそれに気付くことはありません。子供たちは内にこもるようになり、鬱積した感情がやがて敵意となって社会に向けられたとしても不思議ではありません。

特に、バブル景気が崩壊した1990年代に入ってからは企業の大規模なリストラが横行し、その対象となった多くの中高年層が行き場を失う一方、若者たちにとって正規の雇用は狭き門となりました。職を転々とするフリーター、あるいは職を持たないニートがこうした世情を背景に大量に生み出されることになったのです。彼らから夢や希望を奪い、目的もないまま人生を歩ませていること――つまりは現代社会の抱える歪も、この事件の背景のひとつではないかと私は考えるのです。

自由競争は、ある面で硬直化した社会に活力を与えるでしょう。反面、敗れた者を情け容赦なく転落させるという残酷な面もあります。いわゆる再チャレンジのためのセーフティーネットはないに等しく、1度負けたらなかなか這い上がれないというのが現実です。今回の事件を1人の若者の暴走で片付けてはなりません。国家が事件の背景をきちんと直視し、世の中の格差や歪を是正していかない限り、同じ事件が繰り返されることになるのではないか――と私は危惧しています。

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