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2008/08/14

8月15日への思い(2)

当時の日本は軍が中心となって密かに開戦の準備を進めていましたが、外交レベルでは戦争回避のため粘り強い交渉が行われていました。

昭和16年3月頃から野村吉三郎大使とワシントンで話し合いを続けてきたコーデル・ハル国務長官は、日本では「ハルノート」で知られ、最後通告を突き付けた冷酷な人物と受け止められていますが、今日ハルの回顧録を読むと実に誠実で、人間味のあふれる人物との印象を受けます。また、日本への最後通告にしても、戦争回避のためにアメリカ側が最後の望みを懸けた10ヵ条の平和的解決策だったとしています。

我々はこれまで日本側の視点で書かれたハル氏の人物像しか知らなかったのですが、アメリカ側の当事者であったハル自身が遺した回顧録を読み、初めて異なる事実を知ったことは私にとって本当に感慨深いことでありました。

その回顧録によりますと、ハル氏は野村氏とは40~50回もの会談を重ねたと証言しています。ところが、この交渉では「中国大陸からの日本軍撤退」など、日本側がとても呑めない厳しい要求があり、最後に決裂してしまいました。この間、日本側は近衛首相がルーズベルト大統領との直接会談を望み、戦争回避の大胆な切り札を使おうとしていたとされますが、これは米国務省や中国・蒋介石政権などの反対で実現しませんでした。

近衛氏が退き、東條内閣に代わってからも、日本側が期待していた南部仏印からの撤退などを含む「乙案」も妥協しかけましたが、最終的には潰れています。こうした表舞台とは別に、裏舞台でもさまざまな動きがありました。

例えば、ルーズベルト大統領に近いウォーカー郵政長官と関係のあるカトリックのウォルシュ神父やドロー教父です。彼らは親日派のグルー大使らを巻き込み、日本経済界の井川忠雄氏のルートを通じて日本政府周辺に接触しましたが、これも失敗に終わっています。

もしも近衛・ルーズベルト会談が実現していたら、日米開戦は避けられたのではないか――と一部専門家は分析しているようです。私もこの首脳会談が実現し、日本側が条件付ながら中国大陸や仏印からの撤退をある程度認めていたら、戦争を回避できた可能性は高かったと思います。

振り返ってみれば、日本が日中戦争、日米戦争へと突き進んでいく中で、軍部の横暴や独走は目に余るものでした。軍部は天皇陛下の大権である「統帥権の独立」を振りかざして戦線を拡大させ、これを政府がまったく抑えることができなかったのは悲劇としか言い様がありません。

今日、日本の官僚制を政府がコントロールできずにいるのを見るにつけ、こうした過去から大いに学ぶべきではないか――と考える次第です。ほんの一握りの指導者の判断で、国家の運命が決定付けられるということを私たちは決して忘れてはなりませんし、それは今の日本にも通じることを改めて認識する必要があるのではないでしょうか。

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