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2008/09/15

気がかりな寺田知事の発言

全国学力テストの結果を市町村別に公表するという寺田知事の発言が気になります。結果を公表することによって、それぞれの市町村や学校の間に点数至上主義を植え付け、教育現場が混乱する恐れがあるからです。じっくり深く広く物事を考えさせたり、体を鍛えることを教えたりなど、バランスの取れた子供たちに育てようという本来の教育が、競争心を煽ることによって大きく変化することを私は心配しています。

だからこそ、文部科学省も実施要領で都道府県教育委員会は結果を公表しないと定め、通達を出しているのです。それを敢えて無視し、知事が「私の責任で公表する」というのは理解し難いとしか言えません。また、県の根岸均教育長らが手分けして市町村を訪問し、知事の指示に従うよう説得して歩いているのも異様に見えます。

さらに問題なのは、市町村教育委員会を指揮・監督する直接的権限が知事にないにもかかわらず、法令を無視してテスト結果の公表を強行しようとしていることです。知事といえども、皆で決めたルールは遵守しなければなりません。権力の乱用を防ぐために首長は憲法や法律、条令に基づいて都道府県や市町村を治めなさいというのが、法治国家の原則なのです。

また、県の教育委員会や市町村の教育委員会が、なぜ独立しているのかということをこの際、よく考えてみるべきでしょう。これは「教育権」にもかかわる重要な問題です。これは国や自治体が一方的、かつ強制的に教育の内容や教育の現場に立ち入ってはならない、という考え方に基づいています。だからこそ、教科書の選定・採用も(文部科学省に検定委員会がありながら)それぞれの教育委員会に任せているのです。

教育の方針にしても、基本的には文部科学省の考えや教育行政に沿って行われてはいますが、それぞれの教育委員会や学校、現場の教師たちにかなりの裁量があります。また、教育権については東京教育大の名誉教授だった家永三郎氏(故人)が書いた日本史の教科書の検定をめぐり、国と争った歴史を忘れてはなりません。

家永裁判は検定が検閲か否かを争うものでしたが、その本質は「教育権は国にあるのか、それとも国民にあるのか」を問うものであったと思います。戦前の教科書が国家統制の下で作られ、天皇の神格化と軍国主義に貫かれ、日本が世界の中で孤立してついには国家そのものが滅びた―という反省から、戦後の民主主義的な教育制度が確立されたことを今一度、振り返ってみるべきです。

今回の寺田知事の発言は、それくらい大きな問題が潜んでいると言えるでしょう。

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