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2009/05/30

「夫婦別姓」問題を考える

日本では結婚を機に女性側が男性側の姓を名乗るケースが大半で、それが当然のことだと思われています。しかし、海外は必ずしもそうではないようです。

国会でも夫婦別姓の問題は何度も議論されてきましたが、未だに決着していません。特に自民党の議員の間では、夫婦が別姓を名乗ることで家庭が崩壊するのではないかという心配から、これに反対する意見が多いようです。一方、民主党は逆に夫婦別姓を時代の変化の中で要望が高まってると受け止め、容認すべきと主張しています。実を言えば私もながらく夫婦で別姓を名乗っていますが、その経験からするとそれで家庭や家族制度が崩れてしまうという論はよく理解できません。

我々夫婦の場合、女房は職業の関係で旧姓の「市川倫子」を今日まで使っています。戸籍上は「高松」となっていますが、職場ではもちろんのこと、どこへ行っても市川でとおしています。したがって、我が家の玄関には「市川」と「高松」の表札が並んでおります。このように互いに旧姓を名乗っていても、夫婦仲が気まずいとか、疎遠であるといったことはございません。のろけるつもりはありませんが、夫婦仲はきわめて円満だと思います。

女房が別姓に不都合を感じるのは、病院の窓口などで「高松さん」と呼ばれてうっかりすることがたまにあるとか、旅行のときなど宿泊先で「お連れ様が先にいらしております」と言われて少しばかりバツの悪い思いをするくらいのものです。

これは余談になりますが、結婚した当時に「夫婦別姓で通せないものか」と思い、法務省に掛け合ってみました。「実は妻がオペラ歌手で今の名前を変えられないんですが何とかならないものでしょうか」と訪ねると、担当の方が「高松さん、良い考えがあります。あなたが市川さんの姓を名乗ればいいじゃありませんか」というのです。私は、「いや、私もいずれ選挙に出ると言う事ももありますのでそれも困るんです」といったら「えっ本当ですか」とびっくりし、「残念ですが今の法律ではどうにもならないんですよ」と言われたことを思い出します。                                               

我々夫婦のようなケースはめったにないと思いますが、今日、女性はかなりの方が社会進出しています。結婚と同時に姓が変わることによって、不利益を蒙るケースが出てくるという指摘は当然です。例えば、先日まで「佐藤さん」と呼ばれていたのが結婚を機に「田中さん」に変わることで、本人ばかりでなく周囲も戸惑いますし、新しい姓が定着するのにかなりの時間を要することもあるでしょう。特に対外的な仕事に携わってる方からは、大変困っているという話をよく聞いております。

かつては結婚して主婦に専念する女性が多かったため、こうした弊害が論じられることも少なかったと思います。しかし時代は変わって女性の社会進出は進み、行政も「男女共同参画」の旗を高く掲げています。自民党の国会議員の皆さんも家族が崩壊するなどという偏見を捨てて、ここらで夫婦別姓を法的に認める作業を急ぐときであると私は思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

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2009/05/27

日米戦は回避できなかったか

先日、作家の西木正明さんが会長を務める「ヒューマンクラブ」の会合に出席いたしました。西木さんは昨年12月8日、日米が開戦した記念日に「ウェルカム・トゥ・パールハーバー」という本を出版しています。その内容は開戦前の日米の息詰まるような交渉の舞台裏を描いたもので、私も読み終えて大いに感動した1冊であります。

せっかくの機会と思い、私はヒューマンクラブの懇親会で西木さんに「ウェルカム・トゥ・パールハーバー」が題材としている日米開戦について、避けることはできなかったのかどうか訊ねてみました。会場が静まる中、西木さんは「私は避けられたと思います」とお答えになり、満州国のことや関東軍の動き―特に熱河作戦の背景などについて詳しく説明してくださいました。

西木さんによれば、満州国については国民政府の蒋介石も認めざると得ないと考えており、国際連盟のリットン調査団も同様の認識に傾いていたそうです。ところが、関東軍が満州を越えて熱河省で掃討作戦を展開したため、米英などの権益圏である華北まで日本の勢力が及ぶことを恐れたルーズベルト、チャーチルが態度を硬化させてしまったといいます。

では、日本側はなぜ熱河まで手を伸ばしたのでしょうか。それは「アヘン」が理由だそうです。熱河一帯はアヘンの栽培地であり、当時はここが中国全土にアヘンを供給していました。アヘンは莫大な利益を生みます。日本は満州国を建国したものの、財政難に陥っていました。西木さんは、関東軍は満州国の財政を賄うため、熱河のアヘンに目をつけたのだと指摘します。

西木さんの著書「其の逝く処を知らず」は、アヘン王と呼ばれた里見甫の生涯を描いた本ですが、この里見という人物こそが満州国の財政をまたなうため、熱河省のアヘンを一挙に手がけ、中国大陸で暗躍した中心的存在だったのです。もし関東軍が熱河省へ侵攻していなかったら、日米戦争は回避できたかもしれないとする西木さんのお話は非常に興味深いものでした。

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2009/05/24

衰退していく集落

93歳になる私の親父が先日亡くなり、葬儀を挟んで何日かを郷里・山本郡三種町(旧山本町)で過ごしました。私が育った金光寺というところは100軒ほどしかない小さな集落ですが、それでも昭和30年の町村合併前は金岡村の中心地でした。集落には役場や郵便局、農協も学校もあり、それなりに賑わいのあったところです。

ところで、地域の習わしでお葬式を出す家には葬儀前日まで部落の皆さんが入れ替わり立ち替わり、お悔やみに訪れます。祭壇をかざる座敷にはテーブルが並べられ、男たちは酒盛りをしながら故人の昔話や四方山話にふけります。村のばあさんや母さんたちも夜になるとやって来て、昔と変わらぬ節回しで悲しげに念仏をし、それが終わると座敷の片隅で料理をつつきながら、男たちと同じように話に花を咲かせます。

葬儀当日ともなれば、村の主だった人たちのほか、近隣の集落や遠方から親戚筋も集まってきますが、それとは別に「ダミわかぜ」と称する若い衆も普段着のまま駆けつけます。彼らは昔から墓の穴掘り(土葬だった時代のことです)や周辺の片付け、葬儀全体の手伝いという役目を担います。そして、この若い衆たちは役目を終えると土間で手料理や冷酒、ビールを胃に流し込み、座を盛り上げるのです。

私の親父の葬儀も同様に、部落の皆さんの参加で無事に終えることができました。そして今、秋田市に戻ってつくづく感じることは、金光寺の村に何軒もの空き家があり、若者の数が減ってずいぶん寂しくなっていたことです。昔は手伝いの女たちにしても、若い嫁さんたちがずいぶんいたものでした。私が訪れたときは年よりが大半で、「ダミわかぜ」の中にも若者の姿はなく、私と世代の変わらない50~60歳代の方ばかりでした。

これから先―10年後、20年後のことをつい考えてしまいます。私の親父を見送ってくれた皆さんも、そのころには大半が亡くなっていることでしょう。そのとき、私の故郷は完全に終わってしまう。そう感じました。残された田畑や山林は、いったい誰が手入れをするのでしょうか。大型機械を入れることが困難な山間部ですから、残った人たちで営農集団を組織しても採算ベースに乗せることができるかどうかは分かりません。

金光寺部落に限らず、日本の農村地帯がこのような状態であることは言うまでもありません。私は平成2年に東京から郷里に戻り、同11年まで過ごしました。その頃はまだ、建設業界も公共事業に支えられ、関連業種や地元の農業、商業も活気があったように思います。平成の大合併で三種町となる前でしたから、役場や農協も地域にあり、周辺の食堂はその職員で賑わっていたものです。夜は夜で、森岳温泉の飲食店も意外に繁盛していたという記憶もあります。

しかし、今はその活気がすっかり失われて閑散としています。ほんのひと握りの方たちを除けば、ほとんどの町民は厳しい生活を強いられており、次第に希望を失いかけているようにも見えます。私には、この原因が「政治の貧困」にあると思えてなりません。

選挙目当てに補助金をばら撒いたり、公共事業をむやみに増やしたりした恩恵は一時のことであり、心から有難いと思っている人もいなければ、それで地方が活性化するはずもないのです。長期的な展望に立って、困っている多くの国民の生活をどう助けるのかを考え、実行するのが政治の本来のあり方です。地方に生きる政治家として、そのことを肝に銘じなければ―と強く感じた次第であります。

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2009/05/17

民主党代表選を終えて

小沢一郎前代表の秘書が逮捕されるまでは、各種世論調査の結果はもちろんのこと、私が直接回りから得た感触からでも民主党に対する国民の期待は相当なものでした。一種のブームのような現象で、あのままの流れであれば確実に政権が交代していたでしょう。

ところが、東京地検による小沢代表の秘書逮捕という出来事により、国民の気持ちは一気に冷めてしまいました。一夜にして民主党を見る国民の目が変わってしまったのです。

私自身も、「西松問題」を引きずったままでは次の衆院選は戦えないと見ておりました。残念ですが、小沢代表が辞任する以外方法がないのでないかと思っていたのです。小沢さん自身もその辺の空気を充分に読んだ上で代表の座を降り、すばやく代表選が行われることになったわけです。

欲を言えば党の看板としてはこの際、クリーンなイメージの強い岡田克也さんが新代表にふさわしかったとも思います。しかし、挙党体制でこれからの選挙戦を戦うとなればさまざまな見方もありますけれども、ここは鳩山由紀夫さんで無難だったのかもしれません。

と言うのも、全国の選挙区の情勢を分析し、ありとあらゆる手を尽くして選挙に向けた準備を進めてきたのは小沢さんでした。その小沢体制を幹事長という重要な立場で支えてきたのが他ならぬ鳩山さんです。どう言われようとも、これを崩すことは党として大きな痛手でありますし、その点からしても鳩山新代表を先頭に挙党体制で戦うのが一番良いのです。

一方、岡田さんが今回、95人の支持を得て善戦したのも事実ですし、その結果も非常に重いと思います。挙党体制で選挙に臨むということであれば、岡田さんを幹事長、小沢さんを事実上選対本部の責任者に置くことになるのではないでしょうか。メディアは小沢代表の院政を疑い、一部では「傀儡」という批判もあります。ですが、これは余りにも予断に満ちたものです。

今朝(5月17日)のテレビ番組の中で鳩山新代表が、党のカネのことでも何でもすべて代表である自分が判断していくのが当然であると言い切っています。メディアがいつまでも西松問題と民主党を結び付けることにこだわり過ぎるのを見るにつけ、それでは自民党型政治をここまま続けて良いのかとも言いたくなります。

今、多くの国民の生活は大変な状態にあります。国民はもちろん、メディアも「このままの日本で良いのか」を今一度立ち止まって冷静に考えるべき時です。そして、この国家の未来を明るく展望のあるものにしなければなりません。年金、医療、経済などありとあらゆる問題が先送りされ続け、そのツケを国民が負わさるのではたまったものでありません。

自民党政権は、ここまで何ひとつ手を打てず事態を悪化させました。この方向を転換させようという国民の願いが、民主党に対する期待感であるとと私は考えます。西松問題を契機にそのムードは一時萎んだかに見え、麻生内閣の支持率は逆に上向いています。自民党の政党支持率もやや回復しています。しかし、比例の政党支持率だけは依然として民主党が優位に立っています。これは、底流で民主党への期待がまだまだ高いことを示唆しているのではないでしょうか。

私は、鳩山副代表の下で挙党体制で望めば必ず国民の理解がえられ政権獲得ができると確信しております。

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2009/05/11

歴史にのみ込まれた川島芳子

皆さんは川島芳子という女性をご存知でしょうか。今年4月、終戦後に処刑されたはずの彼女が1970年代まで中国で生きていたというドキュメンタリーの番組がテレビ朝日で放映されたので、「ああ、あの人か」と思い出された方もおられるかもしれません。

芳子はもともと清国の王朝一族であった粛親王善耆の娘で、本名は愛新覚羅顕子(けんし)です。1911年孫文らによって辛亥革命が起こされ宣総帝は退位し国民政府が成立します。そこで一族は旅順にのがれ、芳子は6歳のとき清国政府と関わりの深かった日本人・川島浪速の養女となって東京や松本市で育ち、松本高等女学校に学びました。やがて、彼女は中国大陸へ渡り、蒙古族の将軍の子息と結婚。しかし、2年後には離婚して上海に行き有名飯店のダンサーとなっています。

上海で、彼女は日本の駐在武官補佐官田中隆吉少佐(極東軍事裁判で検事側の証人として出廷した人物)の愛人となり、田中と共に「上海事変」の謀略に深く関わりました。又、関東軍が清朝最後の皇帝・宣総帝であった愛新覚羅溥儀を担ぎ出して「満州国」が建国されると、宮延の女官長に任命されます。その後、関東軍の支援で作られた安国軍の司令官となり、熱河作戦に従軍するなど日本軍に協力したのです。

芳子のこうした派手な振る舞いが新聞・ラジオ・映画で取り上げられたことにより、やがて「男装の麗人」「東洋のマタハリ」といたイメージが作られ、大スターのような存在となっていったのです。なお、当時の満州と日本では李香蘭(山口淑子さん/元参議院議員)も大スターとして活躍しており、芳子とは親交が深かったといわれております。

しかし、こうした活動が仇となり、1945年に日本が戦争に敗北したのを受けて芳子は国民党軍に逮捕されます。やがて芳子は売国奴(漢奸)として訴追され、1948年3月25日に銃殺刑に処されました。この処刑は身代わりがいたとする説が当時からあり、彼女は監獄を脱出して生き延びたというウワサは戦後ずっと絶えませんでした。

テレビ朝日の番組はその身代わり説を検証したもので、芳子は満州に逃れて戦後を生き延びたという生々しい証言などをもとに、その足取りを追うという内容です。昭和の歴史に強い関心のある私などにとっては非常に興味深い番組でありました。

芳子の実父・粛親王善耆は清朝の再興を願っていた人物でしたが、芳子も父親の夢を実現するために関東軍に協力したのでした。しかし、結局はその思いは果たされず逆に関東軍によって事実上利用されてしまったのです。芳子は日本と中国との複雑な歴史にほんろうされた悲劇の女性であったともいえるのではないでしょうか。

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2009/05/06

春の連休に思うこと

この連休は、高速道路がずいぶん混雑したようです。休日はどこまで走っても一部の路線を除いて利用料金が1000円なのですから、遠出したくなるのも当然です。例えば、秋田から首都圏まではおよそ15000円~16000円くらいかかっていたのが、往復で2000円となれば「乗なければ損」という気持ちになりがちです。

利用者側からすれば選挙目当てに1年2年の期間限定と言わず、いっそ無料化して欲しいと思わずにはいられません。日本ではもともと高速道路は有料で、なおかつ高いものだとの思いがあります。しかし、アメリカは言うに及ばず、フランスやドイツ、イタリアなどの欧州諸国でも皆無料です。

話は飛びますが、日本では高速料金だけではなく、電車や電気、電話など公共性の高い料金についても諸外国に比べて高いと言われています。世界トップクラスの経済大国となり、国民所得もずいぶん上がりました。けれども、こうしたものばかりではなく、日常の生活必需品(パン、バター、チーズ、肉、牛乳など)まで高いとなれば、名目上の国民所得が上がっても実際は低いも同然との見方もできます。さらに、年金にしても国民年金受給者に限って言えば、とてもとてもそれだけでは暮らしていけません。

ところで10年ほど前、視察でニュージーランドを訪問しましたが実に驚くことばかりでした。南北2つの島からなるあの国は人口250万人前後の農業国で、国民の生活は決して豊かではありません。しかし、子供たちの教育費は小学校、中学校、高校すべて無料です。公共料金である電気料金も、世界でいちばん安いとのことでした。また南島では当時、水道料金も無料だったと聞いております。医療費にしても、公立病院は誰でも無料で利用できます。

外国人旅行者も例外ではありません。何年か前、私の弟が向こうで怪我をした時、手術代もなにもかも無料だったそうで「兄貴、すごい国があるもんだ」と驚いていました。国民は皆一定の年齢になると年金を受けることができ、それで何とか暮らせるというのです。

貧しい農業国でありながらもこのようなことがどうして可能なのでしょうか。不思議に感じる方も多いと思いますが、簡単な話なのです。まず、ニュージーランドでは日本と違い国家予算に占める公共事業費の比率が極端に低いのだそうです。つまり、公共事業そのものが少ないのです。又、国会議員や地方議員の数も日本のように多くありませんし、報酬もずっと安いのです。うそだと思うかも知れませんが首相が専用車でなく運転手付のレンタカーに乗っているというのです。

南島のクライストチャーチ市は、人口30万位の都市ですが議員の数は秋田市の半分程度ということでした。とにかく、ニュージーランドでは国民の生活を第一に考えています。もともとはイギリスからの移民によって作られた国家ですから、自分たちで納めた税がどのような使い方をされているのか、国民は非常に感心が高いということです。ですから国も地方も行政運営の経費は少ないし無駄もないということです。一方、役人天国といわれる日本では近年になってようやく自分たちの税の使い道に対する関心が高まってきたばかりです。

衆院選がいよいよ近付いております。どの政党が私たち国民の生活を最優先に考えてくれているのか。それぞれの政策をじっくり見比べ、選択のための材料にしていただければ―と感じた次第です。

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