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2009/05/24

衰退していく集落

93歳になる私の親父が先日亡くなり、葬儀を挟んで何日かを郷里・山本郡三種町(旧山本町)で過ごしました。私が育った金光寺というところは100軒ほどしかない小さな集落ですが、それでも昭和30年の町村合併前は金岡村の中心地でした。集落には役場や郵便局、農協も学校もあり、それなりに賑わいのあったところです。

ところで、地域の習わしでお葬式を出す家には葬儀前日まで部落の皆さんが入れ替わり立ち替わり、お悔やみに訪れます。祭壇をかざる座敷にはテーブルが並べられ、男たちは酒盛りをしながら故人の昔話や四方山話にふけります。村のばあさんや母さんたちも夜になるとやって来て、昔と変わらぬ節回しで悲しげに念仏をし、それが終わると座敷の片隅で料理をつつきながら、男たちと同じように話に花を咲かせます。

葬儀当日ともなれば、村の主だった人たちのほか、近隣の集落や遠方から親戚筋も集まってきますが、それとは別に「ダミわかぜ」と称する若い衆も普段着のまま駆けつけます。彼らは昔から墓の穴掘り(土葬だった時代のことです)や周辺の片付け、葬儀全体の手伝いという役目を担います。そして、この若い衆たちは役目を終えると土間で手料理や冷酒、ビールを胃に流し込み、座を盛り上げるのです。

私の親父の葬儀も同様に、部落の皆さんの参加で無事に終えることができました。そして今、秋田市に戻ってつくづく感じることは、金光寺の村に何軒もの空き家があり、若者の数が減ってずいぶん寂しくなっていたことです。昔は手伝いの女たちにしても、若い嫁さんたちがずいぶんいたものでした。私が訪れたときは年よりが大半で、「ダミわかぜ」の中にも若者の姿はなく、私と世代の変わらない50~60歳代の方ばかりでした。

これから先―10年後、20年後のことをつい考えてしまいます。私の親父を見送ってくれた皆さんも、そのころには大半が亡くなっていることでしょう。そのとき、私の故郷は完全に終わってしまう。そう感じました。残された田畑や山林は、いったい誰が手入れをするのでしょうか。大型機械を入れることが困難な山間部ですから、残った人たちで営農集団を組織しても採算ベースに乗せることができるかどうかは分かりません。

金光寺部落に限らず、日本の農村地帯がこのような状態であることは言うまでもありません。私は平成2年に東京から郷里に戻り、同11年まで過ごしました。その頃はまだ、建設業界も公共事業に支えられ、関連業種や地元の農業、商業も活気があったように思います。平成の大合併で三種町となる前でしたから、役場や農協も地域にあり、周辺の食堂はその職員で賑わっていたものです。夜は夜で、森岳温泉の飲食店も意外に繁盛していたという記憶もあります。

しかし、今はその活気がすっかり失われて閑散としています。ほんのひと握りの方たちを除けば、ほとんどの町民は厳しい生活を強いられており、次第に希望を失いかけているようにも見えます。私には、この原因が「政治の貧困」にあると思えてなりません。

選挙目当てに補助金をばら撒いたり、公共事業をむやみに増やしたりした恩恵は一時のことであり、心から有難いと思っている人もいなければ、それで地方が活性化するはずもないのです。長期的な展望に立って、困っている多くの国民の生活をどう助けるのかを考え、実行するのが政治の本来のあり方です。地方に生きる政治家として、そのことを肝に銘じなければ―と強く感じた次第であります。

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