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2009/05/11

歴史にのみ込まれた川島芳子

皆さんは川島芳子という女性をご存知でしょうか。今年4月、終戦後に処刑されたはずの彼女が1970年代まで中国で生きていたというドキュメンタリーの番組がテレビ朝日で放映されたので、「ああ、あの人か」と思い出された方もおられるかもしれません。

芳子はもともと清国の王朝一族であった粛親王善耆の娘で、本名は愛新覚羅顕子(けんし)です。1911年孫文らによって辛亥革命が起こされ宣総帝は退位し国民政府が成立します。そこで一族は旅順にのがれ、芳子は6歳のとき清国政府と関わりの深かった日本人・川島浪速の養女となって東京や松本市で育ち、松本高等女学校に学びました。やがて、彼女は中国大陸へ渡り、蒙古族の将軍の子息と結婚。しかし、2年後には離婚して上海に行き有名飯店のダンサーとなっています。

上海で、彼女は日本の駐在武官補佐官田中隆吉少佐(極東軍事裁判で検事側の証人として出廷した人物)の愛人となり、田中と共に「上海事変」の謀略に深く関わりました。又、関東軍が清朝最後の皇帝・宣総帝であった愛新覚羅溥儀を担ぎ出して「満州国」が建国されると、宮延の女官長に任命されます。その後、関東軍の支援で作られた安国軍の司令官となり、熱河作戦に従軍するなど日本軍に協力したのです。

芳子のこうした派手な振る舞いが新聞・ラジオ・映画で取り上げられたことにより、やがて「男装の麗人」「東洋のマタハリ」といたイメージが作られ、大スターのような存在となっていったのです。なお、当時の満州と日本では李香蘭(山口淑子さん/元参議院議員)も大スターとして活躍しており、芳子とは親交が深かったといわれております。

しかし、こうした活動が仇となり、1945年に日本が戦争に敗北したのを受けて芳子は国民党軍に逮捕されます。やがて芳子は売国奴(漢奸)として訴追され、1948年3月25日に銃殺刑に処されました。この処刑は身代わりがいたとする説が当時からあり、彼女は監獄を脱出して生き延びたというウワサは戦後ずっと絶えませんでした。

テレビ朝日の番組はその身代わり説を検証したもので、芳子は満州に逃れて戦後を生き延びたという生々しい証言などをもとに、その足取りを追うという内容です。昭和の歴史に強い関心のある私などにとっては非常に興味深い番組でありました。

芳子の実父・粛親王善耆は清朝の再興を願っていた人物でしたが、芳子も父親の夢を実現するために関東軍に協力したのでした。しかし、結局はその思いは果たされず逆に関東軍によって事実上利用されてしまったのです。芳子は日本と中国との複雑な歴史にほんろうされた悲劇の女性であったともいえるのではないでしょうか。

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