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2009/12/24

中国見聞録(2)

15~16年も前になりますでしょうか。私は北京、天津、上海、蘇州、大連などを何回か訪問したことがあります。その頃は、これらの大都市でもようやく近代的なビルが建ち始めたばかりという感じでしたし、道路を走る車両も自転車やバイクが大半で、自動車はまだ少なかったと思います。

大連や蘇州の経済開発区でも、広大な原野に進出した企業はまだまばらでした。大連ではTDKの工場を訪問しましたが、ラインがひとつしか稼動しておらず、まだ試運転みたいな状態でした。また、大都市のどこへ行っても古い中国の町並みが残っており、市民が小路のどこからか湧き出てくるような印象があり、とかく人の多さに圧倒されました。そして、人々の服装に華美さはまったくなく、街全体の雰囲気も雑然としていることもあり、中国はまだまだ途上国だなあという印象を持った次第です。

それが、今回の訪中で大きく変わりました。彼の国では何もかもが大きな変化を遂げており、驚かされました。北京空港に到着するや否や、空港ビルの巨大さに皆がびっくりしたほどです。昨年の北京オリンピックの際に建設されたそうですが、奥行きが何キロメートルもあり、税関から荷物受け取り口まではモノレールで移動するほどでした。

北京の中心地は近代的な高層ビルが林立し、高層マンションは中心街から郊外までいたるところに立っています。幅の広い道路には、かつてようにバイクや自転車の姿はなく、自動車があふれていました。北京市内の混雑は夜遅くまで大変なもので、市内を走っている何本かの環状線は常に渋滞しているようですし、高速道路も車がいっぱいです。

中国の車の生産台数ですが、ある資料によりますと2007年には879万台、昨年はさらに伸びて約1000万台近くにまで達しただろうとされております。自動車の製造はまだ始まったばかりですから、いずれ年間の生産数は2000万台となり、世界一の自動車生産国になるかもしれません。

ところで、訪中団は到着の翌日からいくつものグループに分かれ、政府の各部(日本での省に当たる所)や経済開発区などを訪問しました。そして、私のグループが訪ねたのは政府の商務部(日本の経済産業省)や北京経済技術開発区、近郊の農村などです。

商務部の役人の方々との意見交換では、担当者から「中国経済は2008年度、世界的金融危機で大変だった。しかし、日本と同様に経済政策を内需拡大に転換し、さらには4兆元規模の財政支出、金融緩和、何回かの貸出・預金金利引き下げ策等を行って経済危機を乗り切ってきた」と説明を受けました。

ちなみに、これまでの中国の経済動向ですが、中国関係統計によると1979年以降、成長率は平均して年率で9.8パーセントの伸び、2003年から2007年までは年10パーセント、2008年は年9.0パーセントと成長を続けています。2009年は前年度比6.1パーセント増でしたが、これはここ最近で最も低い数字となっています。

2008年の国内総生産(GDP)は、44000億ドル(国家統計局)で世界第3位。同年の貿易総額は、前年比17.8パーセント増の25616億ドル(国家統計局)で世界第2位、貿易黒字は2955億ドル。同年の外貨準備高19500億ドルは、日本の1306億ドルを抜いて世界第1位。このように限られた統計を見ただけでも、中国が世界一の経済大国になろうとしていることだけは間違いないのことであります。

ただ、急激経済成長を遂げた結果、沿海部の大都市と内陸部との格差、都市部と農村部との格差、社会保障、エネルギー、環境問題などや政治家や党幹部らの腐敗といった様々な国内問題を抱えており、その解決が今後の大きな課題であると思います。

日中関係は政治的に一時、小泉政権下で冷え切っておりました。しかし、それ以降は政府レベルでの緊密な関係を保ってきましたし、経済分野でもハイレベルの実務者会議が何回も開かれております。関係資料によると昨年の日中間の貿易総額は2664億ドルで、日米間の貿易総額2132億ドルをすでに上回っております。対中貿易で日本はEU、アメリカに次いで第3位となっており、日中の経済的な結びつきも強まっています。

今回の訪中で感じたことは、日本海を隔てた隣国が急速な経済成長を遂げ、今や「巨大な国家」として世界に君臨していることです。したがって、日本はなお一層、中国との関係を深めて緊密にしていくべきであると考えます。

(続く)

 

写真下:大きな変化を遂げた街並みのジオラマ

(右から3番目が私です)

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2009/12/16

中国見聞録(1)

12月10日から13日まで、民主党訪中団の一員として北京を訪問しました。総勢600人、そのうち143人が国会議員であったため、取材陣も多数駆けつけて大変な賑わいでした。日本ではこの訪中がだいぶ大きく報道され、「小沢幹事長の勢力誇示ではないか」「さまざまな思惑が絡んでいるのではないか」などなど、ずいぶんうがった見方をされたようです。しかし、実際参加してみてそのような複雑で政治的な魂胆は一切感じられず、もっぱら10年以上前から毎年行ってきた日中の交流をさらに深めようということと、発展著しい中国の現状をしっかり見てもらいたいということなどにあったと思います。

さて、中国側の歓待ぶりは大変なものでした。日本の国会議事堂にあたる人民大会堂で胡錦濤国家主席と600人の参加者全員との集合写真、国会議員一人一人と全員握手した記念撮影は中でも印象に残るものでありました。おそらく、日本の首相が100人以上の訪問者一人一人と写真を撮るなどということはめったにないでしょう。また、そのあと同じ人民大会堂で開かれた大レセプションでのもてなしも、大変に心温まるものでした。

余談ですが、帰国する前に全員に手渡された集合写真は何と2メートル以上もの横幅がある大きなもので、掛け軸風に巻かれておりました。一人一人の表情が鮮明に写っており、どうしたらこれほど大きなサイズの写真をわずかな時間で600枚も焼き付けることができるのかと、非常に驚いた次第です。

胡錦濤主席は、人口13億人の中国の頂点に立つ大権力者であり、アメリカの大統領に次いで今、世界で最も注目されている方です。ただし、私の見たところでは、全くいかつい感じのない実に穏やかで懐の深い大人(たいじん)の風格を備えたインテリ-といった印象でした。中国共産党という巨大な組織を登りつめた、やり手の超エリートなのでしょう。

なお、訪中団が歓待を受けた人民大会堂は建物の横幅が400メートル、延べ4万坪もあるとのことで、我々の度肝を抜くような巨大な施設でした。1万人が入れる部屋を備え、数千人を一度に収容入るような大きなホールもいくつかあるそうです。この建物を見ただけでも、中国という国と国民のスケールの大きさを知ることができます。このすぐ近くに有名な天安門があり、この人民大会堂も100万人が入れるという天安門広場の中にある建物のひとつなのです。

1949年に蒋介石の国民党政府を倒し、中国を統一した共産党の毛沢東主席(当時)がこの天安門の上から中国人民に新国家の第一声を上げたことはよく知られております。

天安門の奥には、世界遺産に登録されている明朝・清朝時代の皇宮・紫禁城(故宮)があります。紫禁城は南北961メートル、東西753メートル、約725000平方メートルの広さがあるそうです。1932年、日本の関東軍が清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を担ぎ、満州国を建国したのですが、溥儀は清朝皇帝に即位した幼少の頃(1908年)から、孫文らによる辛亥革命(1911年)によって皇帝を退位した後、1924年に追放されるまでずっとこの紫禁城に住んでいたのです。

ところで、我々が泊まったのは天安門に近い「北京飯店」というホテルでした。日本では飯店を中華料理店と思われている方も多いのですが、実際は北京飯店は1900年創業の伝統ある有名なホテルで、日本の旧帝国ホテルを3つもあわせたような大きな建物です。私の部屋の近くの廊下には、毛沢東元主席とアイゼンハワー元米大統領との会談した写真などが飾ってありました。各国の元首を含む要人の方が訪中すると、この北京飯店に宿泊し、歓迎のレセプションなどを開いたりしているそうです。

(続く)

写真下:人民大会堂で胡錦濤主席と。

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2009/12/07

米軍基地の移設と国益

沖縄米軍の普天間飛行場を移設する問題が大きく揺れています。地元の皆さんの気持ちと長年の苦労を考えれば、その意向は十分に尊重しなければなりません。ただし、これは日米の安全保障にも関わる問題ですから、政治的な判断は一層難しいものとなっています。

一連の問題は1996年、日米間で普天間基地の全面返還が合意されたことから始まりました。2006年には名護市のキャンプ・シュワプ沖への移設に合意し、政権交代後の今年11月13日に行われた日米首脳会談でも、この問題の早期解決について話し合われました。そして、同17日には閣僚級による両国の作業部会まで開かれ、現行計画の調整に入っているところなのです。

ところが、この段階で鳩山内閣の一翼を担う社民党が普天間の県外移設を強行に主張し、新政権はこの問題で分裂絡みの議論となりました。残念ながら、社民党の福島瑞穂党首は自分たちの考えが通らなければ連立の解消も辞さないとしています。この期に及んで連立政権離脱を盾にするのは、さすがに禁じ手ではないか―と私は思います。

来年夏には参院選が行われます。そのため、社民党は敢えてここで問題をこじらせて、その存在感を国民にアピールしようとしているのではないか―という、うがった見方をする人もいるほどです。失礼ながら、社民党の皆さんは日本の国益というものをどのようにお考えなのでしょうか。私の疑問は募るばかりです。

社民党が元々、日米安保の廃棄を主張してきた政党であることは理解しています。一方、この国が隣接する大国、中国やロシアと対峙していく上で、日米安保も重要な役割を果たしてきました。そして、これからも日本が自国を防衛していく上で、米国との関係がどうあるべきかを冷静に考えなくてはならないと思うのです。

私はアメリカの代弁者ではありませんし、またアメリカを崇拝しているわけでもありません。しかし、防衛のみならず経済などを含むあらゆる分野で緊密に連携してきた日米の関係に、万一亀裂が生じることがあってはならないと思うのです。

今、この問題は鳩山内閣にとってアキレス腱になっておりますし、国民の皆さんには鳩山総理が弱腰になっているように見えるかもしれません。連立を維持しなければならないとなれば、参院選における協力も不可欠となってきます。したがって、慎重にならざるを得ない状況に総理が置かれいる、と見るべきです(これはひとつの可能性ですが、結論を来年夏の参院選まで引き延ばすこともないとは言えません)。

いずれ、これは国益を優先した高度な政治判断を急ぐべき問題であります。そして、この際ですから国民にも問題を取り巻く事情などを詳しく説明する必要もあるのではないでしょうか。

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2009/12/03

芸術・文化振興にもっと力を入れられないか

1960~70年代、アメリカの著名な経済学者だったハーバード大学のジョン・ケネス・ガルブレイス元名誉教授(1908年10月15日~2006年4月29日)の著書『ゆたかな社会』『新しい産業国家』『不確実性の時代』は経済成長の時代を迎えていた日本でもずいぶん読まれ、一世を風靡したものです。

2003年1月に、朝日新聞の山本記者が晩年のガルブレイス氏にインタビューした記事が印象に残っています。ガルブレイス氏はこの中で、日本の現状について「相変わらず、国内総生産やサービスの総量を拡大すること、雇用の高さを維持することだけが重視されているようだが、成熟した日本も新たな物差しが必要なのではないか」と指摘しています。

さらに、ガルブレイス氏は「GDPが大きくなった結果、自分たちの生活が深く多彩に楽しめるものになったかどうか、見直してみるということだ」と述べ、「日本で、オペラやオーケストラの質向上が真剣に議論されているのだろうか。芸術・科学・スポーツ・教育などが、もっと投融資の対象になっていい」とした上で、「働くことが人間の最終目標でもなかろう」という言葉で結んでいます。

私はこれを読み、実にガルブレイス氏らしい含蓄のある示唆に富んだ発言だと思いました。国内経済が停滞し、雇用問題が大きな課題となっているこの時期に、ガルブレイス氏の話を持ち出すことは不要な誤解を生むかもしれませんが、私自身は決してGDPの成長にケチをつけるつもりはございません。

ただ、鳩山首相の「コンクリートから人へ」というメッセージは、ガルブレイス氏がインタビューで我々に伝えたかったことの本質にいささか通じているのではないか―と思った次第です。

今、各府省の概算要求が出され、仕分けチームの精査も終わりました。この後、財務省との最終の詰めが残っておりますが、国土交通省や農林水産省にしろ、他の府省にしても凄まじい量と額の予算を要求しています。そして、業界団体や国会議員、それぞれの動きも活発化してきます。

こうした中で感じるのは、ガルブレイス氏が指摘した芸術文化の分野に関連した予算獲得を声を大にして訴え、積極的に動いた国会議員や地方議員がこれまであまりいなかったということであります。

例えば、日本のオペラ界においては、古くからある二期会や藤原歌劇団といったオペラ団体のほか、新国立劇場がよく知られております。しかしながら、こうした由緒ある団体にしても、ヨーロッパの国々と比較したら余りにも乏しい予算で切り盛りしているようです。

文化庁に直接聞いたところ、これら団体の公演ごとに同庁も3分の1の助成をしているとのことでしたが、この不景気で入場者が激減しており、公演どころか「団体そのものの運営さえ厳しくなってきた」と不安を漏らす声もあるほどです。

日本のトップクラスと認知されているオペラ歌手にしても、1回の公演で手にするのはわずかばかりの出演料と言われていますし、結局は大小のコンサートで営業したり、副業やアルバイトなどで稼いで生計を立てているのが現状のようです。

これは、メディアと近い演劇関係にしても大差ありません。俳優座にしろ青年座にしろ、どこの劇団でもテレビや映画で活躍しているはほんの一握りの役者だけであり、ほとんどの皆さんはアルバイトなどで生活費の大半を賄い、舞台公演では僅かな手当てを貰っているに過ぎないのです。

芸術文化の世界には直接関係のない私ですが、こんな状態ではとても日本は「文化大国や芸術大国」などという看板を掲げられた話ではないと強く感じます。ピアニストでもバイオリニストでも、演奏家と呼ばれる人たちは幼い時から並々ならぬ訓練と努力を重ね、この中からほんの一握りの方が日本の一流の舞台で活躍できるのです。それでいて、本業の演奏活動そのものは収益が上がらないというのですから、芸術文化を高めるためのその苦労は推して知るべし―と言えます。

私たち政治家が彼らの活動への理解を深めると共に、国も(ヨーロッパ諸国並みとは言いませんが)芸術文化向上のため今以上に予算的な面でももっと力を入れるべきだと思うのです。ガルブレイズ氏の言われるように、日本も成熟した国家とし「公共投資」の対象を真剣に考える時ではないでしょうか。

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2009/12/01

空転する国会の裏舞台

昨日の本会議で、臨時国会の会期が12月4日まで延長されることになりました。残された郵政関係などの法案を処理するため、止むを得ないことだと思います。地方議会であれば、余程のことがない限り会期を延長するなどありませんし、先般の例の如く議会が深夜にまで及ぶというケースも滅多にないことです。

ところが、国会は一応の日程が組んであるものの、当日になってそれが突然変更されたり、流会になったりという場合もございます。したがって、明日のことは誰も確たることを言えません。

私の所属する経済産業委員会も今国会で何回か開会されていますが、ほとんど審議らしい審議が行われておりません。これは、自民党・公明党に所属する委員の皆さんが出て来ないためです。

私たち与党側の議員が委員会室で待機している間、理事の皆さんが自公両党の委員の皆さんにおいで頂くよう迎えに行っても一向にラチがあかないのです。結局のところ、何も話し合いをしないまま、委員会が散会宣言をして終わっています(ただし、この間も委員会の政策にかかわる党の研究会には経済産業省側のスタッフが加わり、何回も開かれております)。

国会というところは「国権の最高機関」であり、「民主主義の府」だと言われているものの、「権力闘争の場なんだなあ」とつくづく感じます。ましてや今回、長期に権力を持っていた自民党が与党に転落したのですから、隙さえあれば鳩山政権を攻めてきます。つまり、ありとあらゆる手を使って政権のイメージダウンを図ろうとしているのでしょう。

特に、鳩山首相の親族とのカネにかかわる問題については徹底的に追及を続け、他の法案関係についても会期内の成立を阻止しようという思惑がありありとうかがえます。先輩議員たちに聞いても「今国会は異常だ」と言いますから、これは私だけが感じていることではなさそうです。

民主党としては、彼らに付け入る隙を与えず会期内に法案をすべて処理し、次年度予算や2次補正を12月中に決めたいところです。そのため、この辺の水面下での駆け引きも非常に難しくなります。すべては、国会対策の腕にかかっていると言っても過言ではありません。

こうした与野党の対立を背景に、民主党の山岡国対委員長と自民党の川崎国対委員長、他の国対副委員長らの水面下での熾烈な交渉が会期前から繰り広げられているのです。加えて、議院運営委員長や他の役員の皆さんの動きもあります。

こうした国会の裏側の動きを注意深く見つめておりますと、総指揮を執っているのが、国会議事堂本館2階のど真ん中に陣取る民主党の小沢幹事長に他ならないことが分かります。

前面で交渉する山岡国対委員長や他の国対幹部は、メディアに連日登場して注目を集めておりますし、大臣やタレント性の強い議員たちも表舞台で華々しく活躍しているように見えます。しかし、国権の裏舞台で国会対策の総指揮を執り、正に政権の命運のかかった局面で重要な役割を演じている人物がいる―ということは案外、国民の皆さんには知られていないのでないでしょうか。

この辺の舞台裏を多少なりとも知ることは、政治をより深く理解する上で必要なことではないかと考える次第です。

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