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2010/02/15

大衆社会の虚像

作家の半藤一利さんの著書「昭和史」を皆さんはご存知でしょうか。数年前に出版された本ですが、私も再度「1926年から1945年まで」の戦前編を読み返し、面白いと思うと同時に深く考えさせられました。

昭和20(1945)年までのこの国家を振り返ってみると、ほんのひと握りの指導者たちの判断で世界の潮流から外れてしまい、多くの国民を巻き込んで国家が瓦解していった悲惨な歴史であったと痛感します。

半藤さんは最後の結びの章で、昭和前期の教訓として5つのことを挙げております。そのいずれも大切なことばかりですが、その中の1つを以下に引用しておきます。

「第一に国民的熱狂を作ってはいけない。その国民的熱狂に流されてしまってはいけない。ひとことで言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけないということです。熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、昭和史全体を見てきますと、なんと日本人は熱狂したことか。マスコミにあおられ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ちはじめ、不動のもののように人びとを引っ張ってゆき、流して来ました」(以上、引用)。

半藤さんのこの指摘は、見方によっては今の日本にも当てはまる面が多々あるのではないでしょうか。

戦前はラジオと新聞しか情報源はありませんでした、今はテレビやインターネットなども普及していますが、ひとつの出来事を単純に朝から晩まで繰り返されると、一夜にして国民の気持ちは変わります。国民に冷静に判断する余裕を与えないのです。

テレビは特に、人類にとって20世紀最大の発明品だったと思います。地球の裏側・南米のことであれ、アフリカの内陸のことであれ、さらには南極や宇宙のことであれ、テレビカメラが見たものを私たちも同時に見ることができるのですから、これは「素晴らしい」のひと言に尽きます。

しかしその反面、番組の作り方や放映の仕方によって、受ける側(視聴者である国民)は事実とは全く異なる解釈をすることもあります。

だいぶ前に、野球の王さんと長嶋さんが出演した番組がありました。その時に、確か王さんが「自分は全く天才だと思っていない」とし、世の中で言われている「王貞治」は本当の自分ではないとまで言っていました。つまり、あれは作り上げられた「虚像」という意味です。ただし、ファンの皆さんがそう思っていることを尊重し、、自分としてもその「虚像」を維持するために裏で一生懸命努力してきたと述べていました。

現代社会では、大半の人は様々な出来事に直接触れたりする機会は限られています。ほとんどは、メディアというフィルタを通して様々なことを知るのです。ところが、時にはそのフィルタによって事実とは異なった面を映し出し、王さんの例で挙げたような「虚像」を作り上げてしまうこともあるわけです。そうなると国民大衆はこの「虚像」を「実像」と思い込み、当事者が否定することさえできなくなってしまうケースも出てきます。

私たちがこの「虚像」と「実像」を見極めるのは難しいことですが、冷静に事実を探ってみることは非常に大事な作業ではないでしょうか。

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