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2011/06/21

あきれた首相の政治手法

大方の国民から嫌われ、だまし討ちにあった前首相からはペテン師(サギ師)とののしられ、党の執行部からも、あの手この手で早期退陣をせまられながら、平然として生きることにのみ執念を燃やし続けている菅首相。

相手をだまし討ちにしようが、約束ごとや過去の政界の慣例を無視しようが、人間性を疑われようが、全くおかまいなしです。同じ政治の世界に生きている者として、恥ずかしくてたまりません。

国民の政治に対する不満・不信感は取り戻すことができないレベル―頂点に達しているのですし、諸外国の笑いものにすらなっているのです。どこのどなたに会っても「こんな時に国会議員は何をしているんだ」という大合唱になるのも当然でしょう。

私は首相の政治手法を冷静に見てきましたが、皆さんも気づいている通り「メディア戦略」と「パフォーマンス」だけなのです。そこには中味が全くありません。支持率が落ち込んできたと思ったら、次から次へと花火を打ち上げるかの如く政策を打ち出すのです。それも党内議論も何もなしにです。

参院選で突然消費税値上げをぶち上げて失敗。尖閣諸島での中国の船長釈放の批判をかわすため、冷やしダマに脱・小沢を打ち上げて逃げ切り、さて次は何かと思ったら、TPPでした。いったいあの騒ぎは何だったのでしょうか。

サミットへ行けば、「日本の再生可能エネルギーを2030年まで30パーセント目標」と出まかせ的発言。もうないだろうと思ったら浜岡原発。ギリギリまで追いつめられ、またもや「再生可能エネルギー」の固定価格全量買取に関する法案が出てきます。

私に言わせればこの法案こそ、一昨年以来、党の政策会議の専門部会やその後の政調会の部門会議で私らが執念を燃やしてこつこつ積み上げてきたものであり、全く迷惑千万な話です。過去にあまり関心も示さなかった首相が、ここでこれを打ち上げたものですから大きな政治問題となり、揉みくちゃにされそうな雲行きとなっています。

資源エネルギー庁との度重なる綿密な打合せや学者・専門家からのヒアリング、党内議論の積み上げ、他党との根回し、風力発電業界、電力業界、電力総連、鉄鋼連盟特に電炉業界などとの意見交換。そして、3月11日の閣議決定。ほぼ9合目あたりにきたところでこのあり様です。(もっとも、大震災さえ起きなければ遅くとも4月には法案は間違いなく成立していたでしょう)。

新聞テレビは対立軸を鮮明にしようと、首相が打ち上げるや否や経済界や自公の反発を書き立てます。事実とかなり違っても、その方が面白いのです。これではもうやってられません。

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2011/06/06

権力闘争の舞台裏(2)

内閣不信任案が自民党と公明党から国会に出されたのが6月1日夕刻でした。その日の午後9時、小沢系の議員たちは続々とホテルニューオータニの1室に結集しています。

会場がほぼ満杯になりかけたところで三井、鈴木、東の3副大臣、それに内山、樋高の2政務官が官邸に辞表を叩きつけて意気揚々と会場に到着し、満場の拍手で迎えられました。間もなく小沢一郎氏も到着し、「明日は皆で頑張ろう」と決起したのです。

71名との報道でしたが、実際は代理の秘書を入れると80名近くは集まっていたでしょう。それと、この時に駆けつけた以外にも20名以上はいるとの強い読みをしていたようです。我々は、明日は確実に不信任案は成立する―と確信を持ちました。

しかし、こうした動きとは別に野党からの不信任同調を回避し、党分裂だけは止めさせよう―という動きもあったのです。その中心で動いたのが、すでに報じられているように、元官房長官の平野博文氏だったのです。

私は小沢系の北辰会に入っておりますが、平野さんが主催する政策研究会「雄志会」のメンバーでもあります。5月31日、たまたま雄志会の勉強会があり、夜の食事会が開かれましたが、閉会直前に平野さんから不信任回避と党の両院議員総会で菅首相の辞任を迫ろうとの強い決意の挨拶がありました。

私はこれを聞き、これはなかなか難しいのではないか―と思いましたし、私は私の信念に従うしかないとも思ったのです。翌1日になって―夕刻4時頃でしょうか―親しくしてる雄志会のK議員から連絡があり「今、平野さんと打ち合わせ中だが、明日午前中に両院議員総会開催を要求する署名集めをするので協力してほしい」と要請を受けました。それも150名以上だというのです。

私は「Kさん、それは無理だよ。時間もないし、執行部が応じないと思うんだが」と申し上げました。Kさんが言うには、両院議員総会で菅首相の辞任を求める方向にあるのだそうです。

2日午前、Kさんの連絡で名簿は揃ったとのことでした。正にこの150名の名簿こそが威力を発揮したと思います。この後、平野氏は鳩山前首相と官邸に向かい、菅首相と会談を行いました。結局、こうした水面下の動きの中で、菅・鳩山会談となり、例の文面を互いに確認し、一定のメドがついたら身を引く―と口頭で約束をしたのです。

ただし、その文面には「辞任」の一言もなく、首相は居直ったのです。これはどう見ても、最初から不信任を成立させないためのトリックだったとしか思えません。鳩山前首相はまんまとだまされてしまったのです。だまし討ちに遭った鳩山前首相は怒り、菅首相を「ペテン師」とののしったのも無理はありません。そして、ここから前代未聞の仁義なき戦いがいよいよ始まったのです。

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権力闘争の舞台裏(1)

たった数日間の動きでしたが、いやはや息詰まるような動きでした。私もその渦中にあって、揉みくちゃにされながらも、その舞台裏を覗くことができました。言えること、言えないこともありますが、ギリギリのところまで振り返ってみたいと思います。

それにしても、6月2日正午からの国会内で開かれた民主党の代議士会は誰も見たことも聞いたこともない「大茶番劇」でした。私は正午ギリギリに会場に到着。マスコミが多数詰めかけ、ごった返していたので、やっとのことで場内に入りました。

あと1時間後、内閣不信任案が成立すると皆は思ってますから、会場内には緊張した空気が漂っていました。定刻を少し過ぎた頃、菅首相が登壇しましたが、いつもの自信に満ちた笑顔はなく、棒立ちになり、無表情の蒼ざめた顔で挨拶が始まったのです。

自分のこれまでやって来た事に対する反省の言葉の後、復興基本法案など震災関係の処理や2次補正予算などに一定のメドがついた段階で若い世代に引き継いで行きたい―と菅首相は話しました。これを聞いて私は「強気一点張りの首相もとうとう辞任を決意した」と思いましたが、辞任の時期をはっきり言わない点は気がかりでした。

菅首相の話が終わって質疑応答に入るや否や鳩山前首相が真っ先に手を挙げ、マイクを既に握っているのが目に入った瞬間、私だけではなく誰もが「おかしいなあ」と思ったことでしょう。

鳩山前首相は午前中に官邸で菅首相と会い、党を壊さないことや自民党に政権を戻さないこと、そして震災関係など一定のメドがついたところで身を捨てて欲しいと求め、菅首相もそれ同意したと言い、その時までは引き続いて頑張って頂きたいと話したのです。

私は即座に「えっ?やられた!」と思いました。隣の仲間は「これは何だ」とつぶやき、別の仲間は「こんな茶番、バカバカしい」と声を上げました。つい昨夜まで、菅首相退陣を強く主張し、不信任案賛成の態度を鮮明にしていた鳩山前首相が手のひらを返したように豹変したのです。もう、原口さんの賛同の演説や他の太鼓持ち議員の話などは耳に入りません。そして、会場内には菅続投を願う議員たちの拍手と安堵の笑いが広がりました。

私は一目散、同志が集まる予定の第一議員会館11階の会議室に走りました。午後1時からの本会議は迫っています。急いで不信任案の扱いをどうするのか、別室で先輩議員たちが協議しましたが、「首相が退陣を表明した以上、日時は明確にしてないが今回は兵を引こう」と決めたのです。

不信任案成立、党分裂・新党結成、連立政権樹立―。ギリギリのところでこうした流れは一旦回避されたのですが、誰もが煮え切らない思いでいっぱいだったのです。

しかし、その日の夜の記者会見で菅首相は態度を一転させ、続投に強い意志を示しました。また、官邸の会談に同席をした岡田幹事長も辞任の話など一切していない―とシラを切ったのです。

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