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2011/08/08

流行と公徳心を考える

山手線に乗っていていつも思い出すのは、私が若かった頃の車内の情景です。何十年も前の話になりますが、当時は車内で新聞や書籍を読んでいる乗客がずいぶん多かったものです。その後、いつの頃からかは定かでありませんが、ヘッドフォンで音楽を聴く若い人たちの姿をよく目にするようになりました。

そして、近頃は携帯電話やスマートフォンに皆さん夢中のようです。メールを読んだり各種情報を熱心に収集しているのでしょうか、車内に出入りするときも目は画面に釘付けで、誰かにぶつかりそうになろうがお構いなしです。世代の違いもあり、私などはそんな場面を見ると戸惑ってしまいます。

また、極端に丈の短い女性のスカートも不思議です。夏が近づくにつれて、短いだけではなく薄く透けているかのような素材も出てきました。これは、家と外の区別がなくなってしまったのではないか―と感じるほどです。

私が高校生だった頃、昭和30年代の初めくらいは体育の先生がいかめしい顔をして巻尺を手に持ち、女生徒のスカートの長さを計って回り、ひざ上5センチだの3センチだのとうるさかったものでした。

ところが、今ではひざ上20センチ、30センチ丈もざらです。世の殿方もおそらく、目のやり場に困っているのではないでしょうか。何年か前に品川駅のエスカレーターで女性のスカートを手鏡で除いて逮捕された大学の先生もおりましたが、今やそん馬鹿げたことをする必要もありません。

これも「流行」といえば確かにそうなのでしょうし、「私が何をしようが勝手ではないか」と反論されればそれまでかもしれません。しかし、古いといわれるかもしれませんが、私はこの国から「公徳心」とか「恥の文化」といったものがすっかり消えてしまったような感じで寂しい思いがしてきます。

どんなに時代が変化しても、最低限、人間として持ち続けなければならないのが「倫理観」「公徳心」であろうと私は考えます。欧米はキリスト教が国民に定着しており、その精神が彼らの倫理観の奥底に深く根付いています。

逆に、欧米の識者からは「日本人は宗教を持っていない」という指摘をよく受けます。私はこれに対しては「いや、そんなことはありません。日本には仏教や神道など古来から立派な宗教が存在し、新興宗教もちゃんとありますよ」と切り返したいのです。

ただ、仏教に限って見ると日本には高名で立派な僧侶がたくさんおられる反面、大方の国民はなかなか仏教の精神を理解せず、「葬式仏教」ととらえているのも嘆かわしいことです。だからといって、戦前のように国家として宗教教育や道徳教育を徹底せよ―と主張するつもりは毛頭ありません。

既に述べましたように、人間として最低限持ち続けなければならない倫理観・公徳心というものを「国民教育」として国家がある程度の責任を持つべき―と思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

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