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2013/01/31

抜き打ち解散を振り返る

ご無沙汰しておりました。長らくお休みしていたブログを本日より再開いたします。

この2ヵ月を振り返ってみますと、「慌しかった」の一言に尽きます。昨年11月14日午後の党首討論で野田前首相は突然、解散を宣言いたしました。そして、翌々日の11月16日午後の本会議で解散。さらに、12月4日に衆院議員選挙が告示され、12月16日に投開票が行われております。

私としては、何がどうなっているのか分からないことだらけであった、というのが率直な感想であります。解散に至るまでを簡単に振り返ってみます。

  ◇      ◇

11月14日午後3時より衆議院本館。いつも予算委員会を開いている部屋で党首討論。普段であれば、限られた時間でのやりとりとなり、徹底した議論には至らないことが大半です。しかし、この日は何かしら気になって、私も部屋に入って傍聴することにしました。部屋には同僚、先輩も大勢おり、与野党含めて多数の議員が詰め掛けてました。部屋の中に漂う緊張感と熱気。ただならぬその雰囲気の中で、野田さんと安倍さんのやりとりが始まりました。

野田さんは初めから腹をくくったような険しい表情をしており、冒頭に「今日は重要なことを申し上げる」と宣言。安倍さんがまず「あなたは近いうちに解散すると約束したではないか。約束を守らないとは嘘つきではないか」と繰り返し質します。これに対して野田さんは「いや、あさって解散します」といきなりカウンター・パンチを放ったのでした。

安倍さんは「本当に解散するんですね」と改めて確認、詰め掛けた与野党議員の間からもどよめきが起きます。おそらく、解散を迫った安倍さんも野田さんの言葉に慌てたのではないでしょうか。実は、私自身も唐突ともいえるの解散宣言を聞いて耳を疑い、「ええっ!まさか!!」と声を上げそうになったほどなのです。

私が驚いたのには理由があります。というのも、定数の是正と周知期間として2~3ヵ月は必要であり、予算の審議なども考え合わせると、どんなに早くても年明けの4月前の解散はありっこない―と見ていたからでした。しかし、今になって改めて分析してみると、野田さんはこの時点でかなり追い詰められ、民主党内でも孤立しつつあったようです。

例えば、民主党の役員会では輿石幹事長をはじめ菅さん、藤井さんも解散に強く反対していました。すなわち、反対勢力に引きずり降ろされる前に、野田さんは起死回生の策、一発逆転をねらったのではないでしょうか。それと、大阪維新などの新党が結集して第3極がまとまる前に―という思いがあったはずです。

ところが、野田さんの作戦は失敗。あの小泉さんの「郵政解散」劇を再現しようとし、逆転どころか、結果として野田さんの見通しのなさが何百人もの同志の「命」を奪い、民主党は歴史的・解党的な大敗北を演じてしまったと言えます。

あのタイミングでの解散にはおそらく、議員だけではなく政財界も一般の国民も「この年の瀬の慌しい時期になぜ」と驚く一方、迷惑千万と受け止めたのではないかと思います。ある意味で、野田さんは戦後最悪のリーダーであったのかもしれません。

ただし、野田さんと同じかそれ以上に見通しを誤ったのが、前任の首相である菅さんでした。

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