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2013/02/24

アベノミスクをどう見るか

先日、「高松さん、アベノミクスは新しい経済理論なの?」と若者から尋ねられました。もちろん、「アベノミクス」というのは造語であり、新しい理論ではありません。不況のときに政府が財政出動(公共投資)を行い、大幅な金融緩和を図って景気を回復させるのはごく当たり前のことです。

政府の公共投資による景気回復策は元々ケインズと言う英国の学者の考え方であり、お金の供給量で景気の調整を行うというのはフリードマンと言う米国の学者の考え方です。日本を含めて、各国がこれまで何度も行ってきた政策なのです。

安倍首相が今回日銀と対決する姿勢を見せてまで、大幅な金融緩和や公共投資を思い切って実行に移したことは、民主政権下で煮え切らない金融政策を行い、公共投資の抑制によって日本経済全体がまったく勢いを失いかけていたので正しい選抜だったと思います。

この政策転換によって株価も短期間に30パーセント以上アップし、久しぶりに市場も活気を呈し、経済全体に明るい兆しが見えて来ました。

円も80円前後から94円台まで上がり、100円台も見えてきました。この影響で自動車など輸出関連企業は好調です。しかし逆に輸入関連は大変なことになっています。また、今後国内のその他の産業や地方の中小零細企業にまで、どうやって景気を波及させていくかです。アベノミスクスの柱である成長戦略をどうやって具体化するかです。

もうひとつ、雇用にも目を向けなくてはなりません。日本には今、年収200万円以下で身分も不安定な非正規雇用労働者が1800万人もおりますし、生活保護受給者も200万人を超えています。これも解決を図らなければならない問題です。

又、自民党は200兆円の公共投資を公約としています。今度の補正予算13,1兆円のうち、4兆7000億円余が公共投資に当てられます。かつて、自民党政権下で過剰な公共投資を長期にわたって続けたことが、破綻寸前と言われる現在の国の財政状況を招いた大きな要因になっていることを忘れてはなりません。

アベノミクスはマスコミも連日持ち上げて報道し、国民もそれに浮かれているうちは良いのですが、この先こうした課題に十分答えられるかどうかではないでしょうか。

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2013/02/18

夢かまぼろしか(2)

国民の圧倒的支持を得て政権の座に就いた民主党でしたが、最後は嘘つきとまで呼ばれ、国民の皆さんの信を失って歴史的な敗北を喫しました。

鳩山さんは弱々しいイメージがあったものの、大変に真面目な方でありましたし、この国の在り方や方向を真剣に考えていました。東アジア共同体や地球の温暖化対策、新しい公共、地方主権などはその一端を示したものです。また、菅さんは最後まで市民派を任じておりましたが、組織を動かすタイプでなく、支配制もありませんでした。そして、官僚を排除した結果、側近政治の典型となってしまったのです。

何を勘違いしたのか、参議院選挙で消費増税をぶち上げたり、原発事故では対応が遅れたりと、その度に厳しい批判を浴びたのは皆さんもご存知の通りです。そして、続く野田さんは自身の生き残りに腐心し、突然の解散で党を壊滅に追い込んみました。おそらく、後世は最悪のリーダーと評価するのではないでしょうか。

それでもなお、これらグループに所属する方々のなかには「小沢にやられた」と言います。しかし、考えてみてください。問題はどうして小沢さんを取り込めなかったかにあるのではないでしょうか。消費増税も、なぜ党分裂までして強行突破しなければならなかったのか、です。

野田首相は財務省ペースにすっかりはまり込んでいました。反対者は徹底的に追い込み、切り捨てました。これがこの党の体質なのかと言いたくなったほどです。私の同僚議員は党内抗争の有様を見て「これじゃ自民党のほうがよっぽどマシだ」と言いました。

菅さんと小沢さんによる代表選も見苦しく、ひどいものでした。脱小沢という合言葉でマスコミを動かし、徹底的に小沢さんとその仲間を責め立てたのです。政治的に対立する他の党を攻撃するのは仕方ないとして、党内の同志を叩くというのは尋常ではないと思います。

私は何も、古巣の悪口を言いたいのではありません。結局、こうした対立の積み重ねが組織を滅茶苦茶にし、自分たちにそのツケが回ってきたことを忘れて欲しくありません。政党というのはもっと懐が深く、温かい人情味にあふれ、 同志のつながりを大切にするべきと信じるからこそ、対立を繰り返した党の在り方に苦言を呈したのです。

今こそ変わらなければ、国民の皆さんの声に耳を傾け、信を得ることはできないでしょう。私は途中で離党しましたが、地方議員時代から長く所属した人間として残念でなりません。

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2013/02/17

夢かまぼろしか(1)

衆議院の解散からちょうど3ヵ月、選挙が終わってから2ヵ月。あっという間のことでした。

それにしても、3年半前に300人以上の議席を確保し、政権党として君臨した民主党が、野党に転落したのみならず、たった57人しか残れなかったという大敗北を喫すると誰が想像したでしょう。分裂した小沢グループもまた、100名以上を擁立して当選者はわずか8名。これも予想を超えた大敗でした。

逆に3年余の野党暮らしに悶々としていた自民党は、118から294にまで議席を増やし、再び政権の座に返り咲きました

振り返ってみれば、何もかもが考えられないことばかりでした。「あの3年間はいったい何だったのだろうか。さては夢かまぼろしか」と呟きたくもなります。

現職を離れ、すべての政党からもいったん離れ、ようやく自由の身となった今、どうしてあの政権があっという間に国民の支持を失い、消え失せてしまったのかをつい考えてしまいます。

政権が長く続かなかった理由を一言で言い表すのは難しいのですが、解散に至るまでは実にさまざまな動き、出来事が内外にありました。その中のひとつとして、私が忘れられないのは2009年の総選挙を控え、日比谷公会堂で開かれた党大会です。

現職の国会議員や多数の衆議院議員立候補予定者、地方議員や代議員等1000名近く集まり、会場は熱狂的なムードに包まれました。マスコミ各社の世論調査でも民主党の支持率は自民党を圧倒しており、総選挙で民主党が政権の座に就くことはほぼ間違いありませんでした。

ところがその前夜、小沢一郎代表の秘書3名が政治資金規正法に違反した容疑で、東京地検に抜き打ち的に逮捕されたのです。これがいわゆる「陸山会事件」の始まりでした。この事件は後に検事が石川秘書の調書を捏造、でっち上げたことが判明しています。

小沢さんは最終的に無罪となりましたが、もしあの事件がなかったならば、おそらく首相になっていたはずです。この事件が表面化した当時の自民党中枢、官邸筋、官僚(特に検察の一部)、マスコミには「小沢にだけは権力を渡すな」「小沢さえいえなければ民主党はどうにでもできる」という空気がありました。だからこそ、よってたかって「小沢を潰してしまえ」ということになったのではないでしょうか。

当時は元警察庁長官で官房副長官の漆間氏のきわどい発言なども指摘されております。そして、小沢さんが代表を退いた後に鳩山氏、菅氏、野田氏が次々と首相の座に就きましたが、いずれもガタガタになっていくのです。民主党は政権を手にする直前に、旧権力によって痛恨の一撃を食らわされてしまったのです。陸山会事件も結局のところ国家のすざましい権力闘争の一端であったと見るべきでしょう。

正に、これが民主党の悲劇の始まりだったのです。<続く>

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2013/02/12

未来の党の失敗

昨年の衆議院議員選挙の公示直前、私が所属していた「国民の生活が第一」の本部から突然、「未来の党へ合流する」という連絡が入りました。これを受けてポスターやチラシなどの制作はすべてストップし、私だけではなく秘書やスタッフもその対応に追われたのです。結局、このドタバタの影響で有権者への浸透を全く図れないまま、選挙は終わってしまいました。

未来の党は100人以上の候補者を擁立しながら、当選したのはたったの8名。民主党と同様、前代未聞の敗北でした。では、小沢さんはどうして「生活」から「未来」に突然乗り換えたのでしょうか。私はこう見ています。

小沢さんは最初から「次の選挙は"脱原発"と"反増税"を打てば、必ず国民の大きな支持が得られるだろう」と考えていたのです。また、早い段階から「維新の会」や「みんなの党」などと連携し、第3極結集を目指していました。

実は、私も第3極に結集する以外に道はないと考え、8月から9月初旬にかけて2回、地元である秋田1区の世論調査を行っています。結果、維新が10パーセント、生活が8パーセント、みんなが3パーセントという数字が出てきたため、小沢さんに直接、この生のデータを見せて「結集を必ずやっていただきたい」と強くお願いしておりました。

小沢さんもたぶん、さまざまなチャンネルを通じてみんなの党や大阪維新と接触していたと思います。しかし、結局はうまくいきませんでした。

そして、見通しが立たなくなったとき、環境問題に精通し、原発の再稼動に慎重だった嘉田さん(滋賀県知事)がクローズアップされたのでしょう。イメージ的にも申し分のない嘉田さんを代表にし、小沢さんが裏方に回れば党は躍進できると踏んだのです。

ところが、公示直前になって中央選管に提出する比例名簿の順位を巡り、嘉田さんや代表代行の飯田さんと、小沢さん側との間に確執が生じ、これに起因する不手際をマスコミが大きく報じたことで、新党のイメージが一挙に萎んでしまったのではないでしょうか。

また、大手マスコミは自民党の掲げるデフレ脱却と経済再生を連日のように大きく取り上げて争点化し、原発や増税の問題は見事なくらい一切無視しました。国民は選挙に突入してからもデフレ克服、経済再生という舞台を見せられ、原発や増税をめぐる議論をすっかり忘れてしまったのです。

私はこの様を見て、1960年(昭和35年)の政治状況を思い出さずにはいられませんでした。

当時、安倍さんの祖父に当たる岸首相が日米安保条約の改定を強行しようとしていたとき、全学連や労働組合の総評、社会党などの革新系が日本中で反対の声を上げ、6月には全学連の学生が国会に乱入。しかし結局、安保改定は国会を通り、岸首相が退陣して池田内閣が誕生しました。このとき、池田首相は安保に一切触れず、「国民の月給10年で倍にしましょう」と所得倍増論を華々しく掲げたのです。

池田首相の政策は国民の圧倒的な支持を得て、安保をめぐる論議はマスコミからも一切消え、世の中のムードは経済成長一色に染まっていきました。テレビ、冷蔵庫、洗濯機等の家電ブームが起き、世の中が明るく活気に満ちたのです。「所得倍増計画」は当時の大蔵官僚だった下村治氏の考えだったのですが、政府は減税と金利を引き下げ、企業の投資を積極的に促したのです。

今回、安倍内閣も原発や増税の問題にはあまり触れず、金融緩和によるデフレ克服、公共投資による成長戦略を前面に出し、マスコミもこれを盛んに報じています。こうした世相を反映し、株価が連日高騰しているのも50年前によく似ています。

未来の党の失敗は結局、小沢さんに付いて回るマイナス・イメージを払拭できなかったことに加え、メディアが原発・増税といった問題に触れず、デフレ脱却・経済再生に争点をすり替えたこと、さらにはその流れに抗しきれない点にあったのではないでしょうか。

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2013/02/02

バンザイ、バンザイ

2012年11月16日午後3時45分、衆議院本会議。もちろん、解散のためだけの開会で、きわめて短時間です。私が少し早めに本会議場へ向かいますと、その周辺の廊下には議員や秘書、報道各社の記者やカメラマンでごった返していました。

そこにちょうど、衛視を先頭に衆議院事務局の職員が人ごみをかきわけるようにやってきました。見るとその表情は緊張しており、手には例の紫の布に包まれたお盆。私はそれが目に入った瞬間、「ああ、あれが解散詔書なのだな」と思ったのです。

本会議場の入り口で、同僚議員たちと慌しく記念撮影をしました。議場に入ると、何やらがやがやと話し声がしており、いつもとは違った異様な雰囲気がします。傍聴席も記者席も、解散の瞬間を見ようとする人々で満席の状態です。私自身も間もなく国会議員でなくなると思うと、一抹の寂しさと何だか落ち着きません。

ほどなく衆議院事務局長から先ほどの解散詔書が渡された横路衆議院議長が「ただ今、内閣総理大臣から詔書が発せられた旨、伝えられました」と発言。起立して「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と読み上げた瞬間、場内は「バンザイ、バンザイ」という声に包まれました。

何ともあっけない身分喪失でありましたが、私もいっしょにバンザイ。国会議員となって初めての国会に臨んだときと比べ、気分は天地ほどの差がありました。そして、3年余という時間の短さを改めて痛感したのです。そして、バンザイを終えた議員らはそれぞれ握手をし、急ぎ足で会館の自室へと戻りました。

私も、とりあえず片付けるものは片付けるよう秘書に指示しましたが、この後どうなるのかはまるで分かりません。その後、慌しく党本部に出向いて公認料を受け取り、その翌日には大急ぎで自身の地元選挙区へと帰ったのでした。

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